2018年4月4日水曜日

【モーセ五書タイトルの謎】2.エロヒームの正体

2.エロヒームの正体

初めに荒野で名を呼んだのは、ことば...だったら、どうなるの?


 初めに・・・というリズムに私も乗っかることにして、
 あらかじめお断りしておきますが・・・ 結局同じことを言っているのです。
 「初めに荒野で呼ばれた名は、ことば」であっても
 「初めに荒野で名を呼んだのは、ことば」であっても・・・
 結論は同じです。これらに託された意味は、
 イホシュア(イエス)こそが創造主の御子であり、
 御子なしで、創造主の御心はわからないし、
 創造主が私たち人間に与えられた「深い恵み」は
 過去も未来も御子によってのみもたらされる・・・
 御子こそ生命・・・ということなんです。


<我々・・・>
【創世記1:26より】 神は言われた。「我々にかたどって、我々に似せて、人を造ろう---【創世記3:22】 主なる神は言われた。 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。 今は手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」


 我々?あれ?
 絶体神、唯一神なんじゃなかったの?
 神さまって孤独だから、性格が分裂したとか?


 私が高校生の時に抱いた疑問です。今改めて考えると・・・ウケるwww
 当時の私には結局、この問いに対する答えは導き出せず、
 取り合えず、この疑問をわきに置いて、
 私は結局、理屈と哲学で聖書の御言を理解するようになりました。


<うら若き私の神様>
 若い時の私の神様定義とは・・・

  • 形がない、エネルギー生命体。
  • 絶対白いひげのじいさんではない。
  • 体や形がないから永遠の存在。
 これは、スーパー・アバ(父)たる創造主の定義として、間違っていません。
 三つ目の「体や形がないから」というところに、落とし穴があるってだけです(アカンやん)。


 私の理解では、創世記1:26で「私たちとおんなじかたちに、人間をつくろう」とおっしゃった、
 ‟かたち”は、ラテン系語学で読むと「imagine」イマジネ:イメージ だったので、
 概念的なこと・・・つまり霊的な部分で似せて作られたって意味だと捉えたのです。
 イマジネの他に、ラテン語には「forma」フォルマという言葉があり、
 これが、物理的な形を指す言葉なんです。
 イマジネは、どちらかというと「印象」という意味ですので、そこには「思い」が絡みます。
 形あるものは必ず朽ちる。間違っちゃあいません。これも創造主の摂理であり真理です。
 ただ、この世の全てを創造された、創造主ですから、
 当然、この摂理から外れることもあるのです。
 (なんて言っても、「摂理」の特許権所有者ですから・・・。)
 「朽ちない形」だってドンと来いです。

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