2017年11月22日水曜日

宗教はやっぱり、いらない!

https://youtu.be/JdzZv-XMXPU
財源確保
イエスの知恵のフランチャイズ化

私にはそれにもう加担する事が出来ませんでした。

私達キリストの弟子はその一人ひとりが「教会」であり、
「教会」はイエスの体なのです。

もし、財源確保のために、イエスの業をさも「牧師でないとできない。」様に見せて権威を囲ってしまったのなら、それは

「イエスの体」を商売にしている

つまり

「イエスを売春している。」

2017年11月19日日曜日

いるやん!イエスの弟子

さて、ほかに書かなくてはいけないことが、間に入ってきたので
私の「イエスへの弟子入り」の経緯を書くのが遅れました。

去年の10月まで、私はどちらかと言うと
教会が嫌いでした。
理由はこのとおりです。

教会組織がしていることは、とんでもない絵空事に見えたのです。
どうして、聖書に書いてある使徒たちと
自分たちがこんなにも違うのか、考えないのだろうか?
と・・・思っていました。

ところが、去年の10月、同じマンションに住む子供たちとその親に
息子がイジメられ、嫌がらせが続きました。
30歳をとおに超えたおばはんらが、息子をあからさまに無視したり
プレゼントを突っ返してきたり。

つらい日々でした。
それまで、同じ学年の子供たちの間で、中心的人物だったはずの息子が
今度は、母親たちの意図的な「村八分」にあったのです。
しかも、息子は何もしていません。
暴力を奮ったり、死んでなどの言葉で息子を傷つけたのは
あちらです。

私は鬱にかかり、息子を道ずれに自殺を考えました。
魂の救いがほしくて、教会にすがったのです。
今この時にも、キリストの弟子がいるとは知らず
もういないんだから、イエスの教えを知るには
教会しかないんだと思いました。
教会員になり、教会を中心とした生活が始まり
私は少しずつ、自尊心を取り戻しました。

しかし、教会でも、いろんな疑問がありました。
聖書の学びの中で、教会リーダーが「教会は仏壇にもっと寛容にならないと、信者を増やせない」というのを聞いたり(べつに、教会は「仏壇を壊せ!」と強要などしてないのに)
BBQで、未信者のお友達を連れてきたら、その彼女に向かって「え?サイズのわりに食べないのね。」と、教会リーダーの奥方が言ったり
とにかく
どうして、この人たちは、聖書に書いている信徒たちみたいに
癒せないんだろう?異言を話さないんだろう?
ずっとわからずにいました。

この教会の人たちは、平気で挨拶をしなくなったり、睨んだり、無視したり避けたり
ジャマイカ人の家族で来ている人たちをチヤホヤ依怙贔屓したり・・・
これがキリストの弟子なのかな・・・と思ったり。
ただの仲良しグループなんじゃ?
と思いました。
それでも、居場所を求めて私は自分に言い聞かせました。
仕方がないんだ。いい人たちなんだから、これでいいんだ。

ところが、そんなときに、
この人の動画をみたのです。

デンマークのキリストの弟子 トーベン・ゾンダーガードです。

ショッキングでした!
いるやん!
おびただしい数の人が、異言を話し、悪霊を追い出し、なにより
手をかざしてイエスの御名によって病気、ケガが癒されています。
まるで、バプテスマのヨハネがよみがえったかのようでした。


私は、怖くなりました。

わたしは、救われていない!

17歳の時に受けた洗礼はただの水浴びで
聖霊は明らかに私の中にいない!

聖書の言う救いに程遠い。
リョリョは?!
母親として、息子を正しい信仰に導かなくてはいけない。
気が遠くなりました。

イエス様!私はあなたの真理の道にたどり着きたいのにたどり着けないでいます。
どうか、キリストの弟子に会わせてください。

私は3日間の断食をしました。
その直後、紆余曲折を経て、出会ったのが、「Love of Christ Ministry International」のリーダー、ロバート・クルソン氏です。
トーベンがバプテスマのヨハネなら、ロバートは、バルナバのような人で、癒しの業を行う「器」でもあるのですが、柔和で、朗らかな人柄で、迷える魂を聖霊との出会いに導いていきます。

もともといた教会に文句があるわけではありません。えこひいきされていない方は、むくれたくなる時もありましたが、他のところで、さんざんチヤホヤされる人生を歩んできた私ですから、中心的人物でなくても喜ぶことができるよう、試練の機会をいただいたことを、感謝していました。
やっと、居心地も良くなってきたのです。

でも、単に、この世を創られた神の命令に従いたかったのです。
私はロバートによる水の洗礼を受けることを決めました。
そして、はっきりと「教会から離れることで、そこにいる人たちを啓発しなくてはいけない。」という声を聞いたのです。


2017年11月17日金曜日

聖霊の正体2 サイドライト

前回の記事で私が「聖霊という形態で生きておられる」と書いたのですが、これが、「異端認定されたナントカ派の考えだ!」と、「オーソドックスきょうかい」組織の面々からご指摘を受けました。「時代ではない。」とか・・・

まず、私はこの「オーソドックスきょうかい」の組織が、異教徒ミトラ教徒によって、ミトラ教とキリスト教をすり替える目的ではじめられた組織だと知っているので、そのような組織でどのような議論がされたとしてもまったく気にかけていません。

キリストの業をおこない、今もイエスの御名によって盲人の目を開いたりしている人たちがいます。聖書にある通り、手をかざして病人を癒すための「器」としてイエスの業を奏でている人々と、教会やら会議室に座って、会議ばかりしている人たちと、どちらを信頼するべきか、などと、小学生でもわかることだと思います。

しかし、御心に適う宣教をしているかというのは、常に真摯に吟味しなくてはいけないと思っています。ですから、指摘のコメントも含めて、全部、ある権威ある先生にアドバイスを尋ねました。

すると
「まず、これらの人々(コメントをした人々)は教会組織が会議で異端指定したからそれが正しいに決まっているという考えを捨てなくてはいけない。プロテスタントも初めは異端と呼ばれたのだから、とんでもない自己矛盾に陥ることに気づくべきだ。時代じゃない云々はまったくのナンセンス。筆者は歴史の流れを三つのパートに区切っているわけだが、これは見事な事実分類であって、決して神を区切っているわけではない。このレクチャーを聞いた新しい信者たちが直後に、"ということは、聖霊様って、神さまそのもののことなの?”とコメントしたということは、正しい理解に導けたということである。人の言葉による証に惑わされて、神の言に鈍感になっているのだから、コメントをした人々は聖霊を受け取っていないと考えるべき。」・・・と言っていただきました。

パリサイ人の種はまだ生きて膨らんでいっていることが、分かり、本当によかったです。

この後、それでも正しい、もっとわかりやすい表現を与えてくださいと、祈り続けると、聖霊は私に「踊れ」と告げました。
「え?今ですか?」と私、すると「今でしょう(笑)」と聖霊・・・ってなわけで、ひとおどり・・・そこで、ステージの横にいつも置いてある「サイドライト」のことを思い出したのです。
これです

神様の表れに似ていると思いました。ただ、丸は三つだけ。一つには何も色が入っていません。後の二つの丸には、赤と青のセロハンが貼ってあります。でも、その実態は一つの光です。

聖霊は英語でHoly Ghostとも言います。私たちキリストの弟子は、聖霊を受け取ってこの、Holy Ghostと共に生きています。聖霊は私たちを神のラッパにしてくれます。
神は、私たちに「息吹」を通して、御業を奏でるのです。

私たちこそが、イエスのラッパなんです。銀のラッパなんです。

さて、クリスチャンという言葉なのですが、これは後世になってキリストの弟子たちを指して、人々が作った呼び名です。イエスは一度もこの言葉を使っていません。
イエスは「行ってクリスチャンをつくりなさい」とは言わず「行って弟子をつくりなさい」と言いました。

繰り返します
信じるとは、従うことです。「自分を殺し」「十字架を負って」イエスに従うことです。

イエスを信じない者は、御国に入れないのです。


2017年11月16日木曜日

Kappa Rhythm





子供たちのミュージカル教材は

たいてい自分で作ります。

これも、オリジナルのリトミック

リズムに乗って、基礎英語をマスター!

2017年11月15日水曜日

聖霊の正体

この世を創造された唯一無二 全知全能の神と
人との歴史をみると
それは、三つの部分に分かれます。

Looking at the history between "Almighty, One and Only God" and humans, it is divided in three parts.

さきに第二の時代から
The Second Part of the history.

まず、分かりやすいので、第二の時代が何かを話しましょう。
神は、人間と同じように肉体をもって、処女の胎から生まれてこられました。
It is easier to understand if we begin looking at the second part of the history.
God gained fresh and blood like humans and was born out of a virgin womb.

第二の時代は
The second part of the history is

子なる神の時代
the time of the Son

つまり
in other word 

イエスの時代
the time of Jesus Christ

イエス・キリストは、肉体を得た神の形態です。この時代は33年半続きました。
Jesus Christ is a form of God that is in the fresh and blood and this part of the history lasted for 33 and half year.
この時代については、後でまた触れましょう。
Let's come back to this second part history later.

第一の時代
The first part of the history.

第一の時代は創造の時から、イエス・キリストの誕生までです。
The first part of the history is from the creation till the Birth of Jesus Christ.

第一の時代は
The first part of the history is

父なる神の時代
the time of the Father



第二の時代で予告された第三の時代
The third part had been announced in the second part

それでは、第二の時代に戻りましょう。
OK time to go back to the second part.  
第二の時代の終わりはどのようであったでしょう。
イエスは十字架刑に処せられ、墓に入れられました。そして、三日後によみがえり、40日間、弟子たちの前に現れたり、一緒に過ごしたりなさいました。
Let' look at the end of the second part.
Jesus had been crucified, died, and been enshrined in the tomb.  Three days later, He was Raised from the death and spent 40 days on earth again.

前回の記事の中で、ヨハネによる福音書の御言に触れました。
In my last article, which is unfortunately written only in Japanese and I promise that I will translate it in English before too long, I mentioned the scripture of John 20:22.

ヨハネによる福音書
John
20:22
 22 そして一同に息を吹きかけ、また言われました。「聖霊を受けなさい。 
22 And with that he breathed on them and said, ‘Receive the Holy Spirit. 

イエスの昇天シーンを記した、この一節も見てみましょう。復活して、地上で40日間ほど過ごしたあと、イエスは11人の使徒をつれて、山に登ります。そして、こう言い残すのです。 (使徒は12人でした。イスカリオテのユダはイエスを裏切って、わずかな金銭のために、イエスの身柄を売り渡し、このためにイエスは十字架にかかるのですが、ユダはイエスの処刑の際に自責の念にかられ、自殺します。ですから、この時点では弟子は11人です。このユダの空席はイエスの昇天後、まずステファノによって補充されます。)
Let's look at other scripture, where we can see the scenery when Jesus was raised in heaven.  After His Resurrection, there was this 40 days on earth.  At last, Jesus took His 11 disciples with Him on a mountain and say.

ルカによる福音書
Luke
24:49
 わたしは、父が約束してくださった聖霊をあなたがたに送ります。しかし、聖霊が来て、天からの力で満たしてくださるまでは、都にとどまっていなさい。」
49 I am going to send you what my Father has promised; but stay in the city until you have been clothed with power from on high.’

And this "power" Jesus mentioned is the Holy Spirit.

このように、昇天によって子なる神たるイエスの時代は終わるわけですが、イエスは「聖霊降臨」を予告し、昇天していくわけです。
Thus the second part of the history ends with Jesus's Rising to the Heaven.  Jesus Announced clearly the Advent of the Holy Spirit.

現在に至る第三の時代
It has been the third part of the history

さて、イエスの昇天後、五旬節という祭日がありました。ペンテコステとも呼ばれます。この時のエピソードは、使徒の働き2章1-4に見ることができます。
聖霊が、すさまじい「風」の轟と共に、彼らに下り彼らは、聖霊を受け取ったわけです。
After the raise of Jesus, there was a holiday called Pentecost.  In the Book of Act you can see what happened then.  They received the Holy Ghost (Holy Spirit).

 And suddenly there came a sound from heaven as of a rushing mighty wind, and it filled all the house where they were sitting.
And there appeared unto them cloven tongues like as of fire, and it sat upon each of them.


神と人間の歴史、第三期がここから始まったのです。そして、この時代は現在に至っています。私たちはこの第三の時代を生きているのです。
The third part of the history between God and humans began there.  And this third part has been going on even now.  We are all living in this third part of the history.

第三の時代は
The third part of the history is

聖霊なる神の時代
the time of Holy Spirit

神は、父なる創造主、子なるイエス・キリスト、とその表現方法を変え、今、聖霊として生きておられるのです。聖霊は、キリストを信じ従う者の魂に宿り、この世に働きかけます。クリスチャンとは、「小さなキリスト」という意味ですが、こうやって聖霊を受けることで、神の曲げ物(うつわ)となります。そうやって、神の業を行う「機器」「楽器」となり神の御心を奏でるからこそ、「小さなキリスト」たりえるのです。
There are three Ways that God takes as expressions  Father Creator, Son the Jesus Christ and now He is alive on earth with us as Holy Spirit, or Holy Ghost.  Father exists forever, Jesus as well exist forever so does Holy Spirit.   And Holy Spirit live in the soul of those who believe and obey Jesus Christ.  Through the body of Jesus's followers, Holy Spirit keeps on effecting to the world.  "Christian" means "Little Christ".  By receiving Holy Spirit, one becomes an instrument of God.  Humans become a Holy Horn of God that compose and sound the God's Will.  The Holy Breath becomes music through Christians.  Holy Spirit is a form of God that makes a simple human fresh into a Christian.

このように、父、子、聖霊の神が同等であり、三つで一つの神であることを「三位一体の神」と言います。
This is the explanation of three expression ways of One and Only God.  This is also called as Trinity.

そして、もう一つ大切なことは、第三の時代は永遠には続かず、第四の時代も予告されているということです。
What is important for us to know is that this third part of the history doesn't last forever and the by Jesus Christ, the forth part of the history is already announced.



2017年11月12日日曜日

神の息吹

聖霊って何?

おそらく、父なる全知全能の神についてや
イエスについてよりも
この「聖霊」についての説明が一番難しいのです。

でも、説明が一番難しいからこそ、それが一番大切なんです。


~~~

創世記
Genesis
2:7
やがて、主なる神が人を造る時がきました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。そこで人は、生きた人格を持つ者となりました。
 Then the Lord God formed a man[c] from the dust of the ground and breathed into his nostrils the breath of life, and the man became a living being.

ヨハネ
John
20:19-23
同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸にしっかりかぎをかけ、肩を寄せ合うようにして集まっていました。その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」イエスはまず、こうあいさつされてから、 20 手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。 21 イエスはもう一度言われました。「平安があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わします。」 22 そして一同に息を吹きかけ、また言われました。「聖霊を受けなさい。 
 On the evening of that first day of the week, when the disciples were together, with the doors locked for fear of the Jewish leaders, Jesus came and stood among them and said, ‘Peace be with you!’ 20 After he said this, he showed them his hands and side. The disciples were overjoyed when they saw the Lord.
21 Again Jesus said, ‘Peace be with you! As the Father has sent me, I am sending you.’ 22 And with that he breathed on them and said, ‘Receive the Holy Spirit. 23 If you forgive anyone’s sins, their sins are forgiven; if you do not forgive them, they are not forgiven.’

使徒の働き
Book of Acts
2:1-2
さて、イエスの死と復活から、七週間が過ぎました。五旬節(ユダヤ教の祭りの一つ)の日のことです。信者たちが一堂に集まっていると、 突然、天からものすごい音がしました。まるで、激しい風が吹きつけるような音です。それが、家全体にごうごうと響き渡ったのです。
When the day of Pentecost came, they were all together in one place. Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 


「神の息吹」が登場するところを一部抜粋しました。
聖霊の正体をお話する前に、欠かせない話題です。
ヨハネの福音書二十章22節にちょろっと登場している、あの「聖霊」です。

そうだ・・・
ヨハネの福音書の第一章1節も大切です。


ヨハネ
John
1:1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

「言」(ことば)と読みます。
ヨハネは福音書を記すにあたって
彼が「聖書」と信じていた「旧約聖書」の創世記の書き出しに似せて書きました。
そもそも、自分の書いたものが「聖書」と呼ばれるようになるとは思っていなかったと思いますが、ユダヤ教の経典である旧約聖書と似せて書きだしたのには、イエス・キリストがユダヤの神と一体たる「神」であることを、鮮明に証するために、そのようにしたのでしょう。
福音とは、イエスが天地万物を創造した父なる神が、人の肉をもった生命体だということを伝え広めることです。

さて、天地創造の時、神は、ひたすら「言」のみで、天地を創造しました。
「光あれ~」って・・・。
ひたすら、いろいろ「言う」ことで、次から次へと創造されるわけです。
私はコンピューター人間なので、常々おもうのですがこれは、いわゆる「コマンド」ですね。
でも、「言う」「言を放つ」という行為はどういう行為なのでしょうか?

肺で作られた息を、声帯が音にして、脳から発せられた言語情報に合わせて、舌と歯、口腔が調節されて発信されるものですよね。

つまり、情報と息吹が「言」の正体だということです。
つまり、神の息吹とは「神の性質」・・・神性そのものだということです。

創世記の一節を見てみてください。
神は人を泥から作り出すわけですが、そこに、息吹を吹きかけるわけです。
「人になれ」とか「うごけ」とかコマンドで作ったのではなく、息吹を吹きかけたのです。これはつまり、この時、神は自らの神性を、人に授けたということになるのです。

しかし、私たちは、神の「コマンド」に背いた、アダムとエヴァの子孫です。
あの、果物をぱくりとかじった一件で、私たちのDNAの「情報」が書き換えられたのです。

イエスは、この「情報」を再び、神の「情報」に戻すため、「バグ」を修正しに、この世にいらしたのです。

ですから、イエスは壁をすりぬけ(笑)イエスを見捨てた罪悪感に打ちひしがれる弟子たちの前に、ひょいと現れた後、穴の開いた手を見せて「よ!シャローム!(平安あれ)」と言い、そして、彼らに「息吹」を吹きかけます。
この息吹はまさに、天地を創造し、我々人間に神と同じ性質を与えたあの「息吹」です。

その場に居た弟子たちの「情報」はその時点で書き換えられたのです。

そしてさらに、息吹は「ドスン!」と大きく働きます。
それがペンテコステの日の息吹です。大きな音となって信者たちに臨みます。
そうして、このあと、炎の舌となり、彼らに働き、クリスチャンたちは異言(自分の言葉ではない「ことば」のこと)を口走るようになるのです。
こうして、クリスチャンたちは、再び神性を取り戻したわけですが、神性を取り戻したから、聖霊を受け取るようになるのです。

聖書が証しています。
神の息吹とは・・・神の神性そのものであると・・・
さて、それでは、そのあとに来る、聖霊とは・・・それは次回、お話ししましょう。
「そのもの」と「作用」の違いです。

2017年11月5日日曜日

私が「基督教会」を信頼していなかった理由。

歴史を学んだ人なら、きっと今巷で
「キリスト教会」とよばれる
集団、組織に疑いの目を向けるはずです。

原因は
コンスタンティヌス1世です。
彼はキリストが生きていた時代から
300年もあとに生きたローマ皇帝です。
このコンスタンティヌスが
今巷で「キリスト教会」と呼ばれる
組織の基盤を作りました。

彼はクリスチャンですらありませんでした。
それどころか、
ミトラ教という、異教の神を崇拝していたのです。

彼はただ単に、政治的にクリスチャンを利用したかっただけで
ローマでのキリスト信仰を認め、
ローマ市民にクリスチャンに対する迫害を辞めさせる代わりに
キリスト教を組織体制化したのです。

太陽崇拝だったミトラ教ですから
日曜日を「聖なる日」Holy Day→Holidayとしていました。
英語では今も、日曜日はSundayですが、
ローマの公用語だったラテン語から出た言葉を話す国々では
日曜日は今、Domenica, Domingo, など
ラテン語のDomenicus (神の日)という言葉から発展された言葉が
日曜日を意味する言葉になっていますが、
これをそのように呼ぶようにしたのは、コンスタンティヌス帝です。

これは、一見
「コンスタンティヌス帝もキリスト教に傾いていたのではないか?」と
思えるかもしれません。
しかし、ミトラ教徒だったコンスタンティヌス帝がクリスチャンになったのは
なんと
いまわの際
つまり、死の直前だったのです。
そんなギリギリになるまで、頑固にクリスチャンにはならなかったのです。

コンスタンティヌス帝は、キリストが礼拝日を
はっきり指定しなかったのをいいことに
クリスチャンにも自分たちの聖日を守らせようとしたのです。
つまり
ミトラの神とキリストを、すり替えようとしたのです。
キリストが礼拝日を指定しなかったのは、
単に、ユダヤ教の「安息日」を守ることこそが、
キリストの意志だったから・・・
変える必要がないからです。

ヨーロッパに行くと
教会がたくさんありますが、
教会に入り、十字架に向かうと
必ず、東に向かっていることになります。
東は太陽が生まれる方向で
ミトラ教徒にとってとても大切な方角でした。
この建築ルールを定めたのはだれかと言うと
コンスタンティヌス帝です。

ユダヤ人にとって、一日は日没からはじまり
翌日の日没で終わるのです。
聖書に、「~夕となり、朝となった。」とありますが
ユダヤ人は日没から一日が始まるのです。

さて安息日というのは、この世界を創造された神が
七日目に休まれたということに由来します。
一週間は、最初の日昇があった第一日目たる日曜日から始まり
最後の土曜日に終わります。
つまり、安息日とは土曜日のことなんです。
(現代の時間のとらえ方でいくと
金曜日の日没に土曜日がはじまり
土曜日の日没に土曜日が終わり、日曜日が始まるのです)
日本語でも土曜日は「土星」の曜日という表現です。
英語でも土星の曜日を示す Saturdayです。
でも、ラテン語から派生している
イタリア語、スペイン語などの言葉では
Sabato, Sabadoと、土星とは関係ない言葉が曜日を表しています。

しかし、土星は「サタン」
ユダヤ人にとっては「悪魔」を意味しています。
それまで、ローマでは土曜日は
Saturdi (サトゥルディ)土星の曜日 と呼ばれていました。
これを Sabadoに変えたわけですが
ユダヤ人の「安息日」「サバシュ」を尊重したからです。
ご機嫌取りだったのです。

そうやって、サバシュに対しても緩和策をとって
しかしちゃっかり
Holy DayはSoledi(ソレディ 太陽の曜日 日曜日)にし
ミトラ教の風習を優先させました。

クリスマスをミトラ教で最も大切な祭事である
冬至、12月25日にしたのも、コンスタンティヌス帝です。
彼は321年3月7日、日曜を「聖なる日」(ホリデイ=休日)宣言し
安息日を取り消しました。
この時点で、コンスタンティヌスはクリスチャンだったでしょうか?
いいえ。まだ、この時、コンスタンティンヌス帝は
ミトラ教徒です。

つまり、いま巷で
「きりすと教」と呼ばれるもの
「きょうかい」と呼ばれるものの基礎のほとんどをつくったのが
コンスタンティヌス帝です。

神学者ジャン・カルヴァンは
「キリスト教要綱」を著したことで有名ですが
もう一つの著書 「信仰の手引き」のなかで、

従ってこの日(安息日)を迷信的に遵守することは、キリスト者から遠ざけられねばならない。
旧約の安息日は廃止された
ユダヤ人によって守られた日は捨てられた。(それが迷信を駆逐する良策だったからである。)その代わりに、この用のために他の一日が制定されたのである。つまりこれは、教会の秩序と平和とを守り保つために必要である。

と述べています。
カルヴァンはルターに並んで、宗教改革に貢献した人物ではありますが
問題は、どうして安息日が取り消されたかという
歴史的事実を完全に誤解していることです。
彼の言う「教会」というのが
クリスチャンでもない人物によって、政治的便宜で定められたものなのを
彼は全く無視しているのです。
それもそのはずで、カルヴァンが生きていたのは16世紀
つまり、キリストが生きていた時代から、1600年もたっていて、
カトリック教会の成立からも1200年経っているのです。
カトリック教会を改革しているつもりでも、
けっして、その「偶像」から簡単に逃れられないのも
無理はありません。

しかし
私たちは、二千年の時を超える
異教徒の嘘に載せられることなく
ひたすら、キリストを見つめていたいと考えています。

キリストは、創造主であるユダヤの神の真理を
自らの命をもって表された方です。
ですからイエス様にとっても「安息日」は意味のあるものであり
簡単に軽んじられるべきものでは、なかったのです。

キリストが復活なさったのが日曜日だから
というのが、ちまたの「きりすと教徒」の言い分ですが
これこそまさにコンスタンティヌス帝が当時口にした言い訳ですし
それならば、Holiday を日曜日にする以前に、使徒ペテロたちが
日曜に礼拝を切り替えていたはずです。
しかし、キリストの死後、310年もの間
使徒たちを含めて、キリスト教徒はやはり、
サバシュを守っていたのです。
コンスタンティヌスが、曜日の呼び名を変えて
法令化しなくてはならなかったというのが
なによりもの証拠です。
こういうことから、私は
教会という組織が、キリストとつながっているとは考えていませんでした。
とんでもない詐偽に載せられている
二千年もの時を超えて!

・・・そう考えていたのです。
その考えは一年間ほどにわたり、いったん
抑えられ、私は教会へ戻ります。
去年の10月に
息子が遭遇したイジメ事件から始まった一連の事件をきっかけに
どうして、そうしたのか
そして、それからまた、どうして
世俗の教会を離れ
自らの家を「家の教会」としてイエス・キリストに捧げたのか
それが次回の私の証です。

Youtube 作品もぜひごらんください。
https://youtu.be/gyuPMN1PHWM

2017年11月4日土曜日

イエスのライオン

どちらかと言うと、アンチクリスチャンだったはずの
棟方です。
しかし、去年の10月末を発端に息子に起きたイジメがきっかけで
信仰生活に戻り、さらに「本物のクリスチャン」となりました。

この「本物のクリスチャン」についてはまた、改めまして・・・
今は、「家の教会」の長老として、キリストのために
息子と二人
御国の働きを第一義に生活しています。

息子は、学校に行くのをやめ
家庭で学習しています。
周りはみ~んな知らんぷりです。
でも、私たちはキリストにのみ頼る決心をしたのです。

さて、私と息子をキリストの道へいざなってくれた
キリストの弟子 ロバート・クルソン氏が率いる、
クリスチャン・ミニストリー「ライオン・ワーク」のために
テーマ・サインを描きました。
ご覧ください。


Ryo Discovers the World 最終回 五妃街と神農街

Rei and Ryo's Taiwan review, the last chapter. 一ヶ月に渡ってお送りした、台湾シリーズの最終回です。