2017年2月27日月曜日

ガチャポンで仮面ライダーエグゼイド「ガシャット」ゲットだよ。





最近いろいろあったリョリョ

2人でお買い物デートしました。

この子とおでかけするの、すっごく楽しいんです。

よくがんばった!

いろんな試練に直面しても、

信念をもって生きていける彼を誇りに思います。

2017年2月21日火曜日

いじめの無い世界を求めて!

http://www.pinkshirtday.jp/

<YMCAピンクシャツデーより>
社会全体がいじめに対して高い意識を持ち、いじめの被害者と加害者以外の立場にいる人が「傍観者」にならないことが、いじめられている子どもを救うことになる・・・

私の息子は、いじめの被害にあい、その後、傍観の暴力の被害に遭いました。
状況を悪くしたのは、加害者自身ではありません。
傍観の罪を犯した、それまで「友人」として私の食卓で食事をした人たちです。

私と息子は、立ち上がることにしました。
イジメの無い世界の実現のため、闘います。
私たちの最初の武器は「知性の言葉」です。
そして、二番目の武器は、ピンクのシャツです。
明日、私も息子もピンクのシャツを着て、闘います。

今必要なことは、態度を明らかにすることです。

NO MORE BULLYING!!!

My son was bullied.  Then both my son and I, have been a victim of "isolation" by the people who remained spectators.
It is not the perpetrator who got the situation in the worst, but is the bystander that had been dining at my table night by night as our friends.

My son and I decided to stand up.
We stand up and fight for the world there is no more bully.
Our first weapon was "the words of wisdom".  And the second is the pink shirt.
Tomorrow, we shall put on the pink shirts.

Need to take action.



ARE YOU REALLY NOT A PART OF THIS WORLD?
IF YOU THINK YOU ARE, WHAT KIND OF WORLD YOU WANT IT TO BE?
WHY YOU REMAIN SILENT?

2017年2月16日木曜日

PTAが変わるべきなのだ!

イジメ・・・
学校が負うべき責任では、ない!

学校の責務は、基本的な学力の教習と、社会性の育成。
つまり、子供達が外面を「発揮」する場。
外面(そとづら)を育てるのは、学校ではなく、家庭なのだ。

子供達の倫理と道徳の教育は、絶対、誰がなんと言おうと、家庭が負うべき責務!

私が怒り苦しむのは
信頼していたからだ。

だから、私は、苦しんでいる。息子が遭遇したイジメ。
確かにステージ0〜ステージ1。
私が求めたのは、
「絶対に、これをステージ2以上にはしないですよ」
という覚悟のジェスチャーだ。
それが、子供を囲む共同体に対する最低限の礼節だ。
なのに、誰一人として、親は誠意を示さないばかりか、
大の大人が7歳の子供を傷つけた。私は苦しんでいる。
どうやったら、彼らを赦すことが出来るのか。
まだ、私にはわからない。
高飛車に哀れめば気が楽。
でもそれが出来ないのは、ひとえに、
私が、いまだに、彼らの子供達をも愛おしく思い、
こないだまで彼らを自分と同じ「プロの親」として信頼していたからだ。

日本人は厚顔無恥
少子化対策はその証拠

WHOは、世界人口が飽和状態にあると警鐘を鳴らしている。しかし、日本人は、たかが年金問題のためだけに「少子化対策」などと言っている。笑止千万だ。厚顔無恥だ。厚かましいにも程がある。馬鹿としか言いようがない。どんなに嫌われようが、怒りをもって私は、叫び続ける。

「産むな、増えるな、道徳を教えられないなら。
産んだなら、命がけでその子を社会に有益な子にしろ!」


保護者会が
ぐーたらやってる場合ではない!

保護者会がPTAの一部として、果たさなければいけないことがある。
日本は陪審員制度を導入し始めた。つまり、保護者会にもできるってことだ。
さて、なにが?
・・・
かつてのように、連絡網は配られなくなった。
子供たちの生活で起こったトラブルについては、
学校が責任を負うのではなくとも、把握はするべき。
責任を負うべきなのは、加害者個人と親なのだけど、
連絡先を知らなければ、学校が介入する以外ないし、
たとえ、知っていても、こういうことは、
「個人間」のケンカや言い合いで終わってしまってはいけない。
加害者は「加害者」となった時点で、違法行為を行っているのだ。
社会的な責任を問わなくてはいけない。
罰則を加えるとか、裁くとか、そういう話ではなく、
痛みを共有し、公正な見解を通して起きた出来事を検証しなくてはいけない。
そうやって、「常識」が形作られる。
個人の名誉はそうやって育まれる。
そもそも
最近の社会的な問題は
個人が名誉とエゴを取り違えているから、起きていることが多いように思う。
昔は、どの国でも、寺や教会が、この役割を担ってきた。
何を担ってきたか・・・
「調停」の役割だ。
現代社会では、それが、地域コミュニティをすっ飛ばして
いきなり、裁判所が行っている。
でも、その前に、共同体が、共通の利益、
つまり、この場合、「子供たちの心身の安全・健康」のために
互いに貢献しあって、調停の役割を果たしてもよいはずだ。

「許しあう場」としての
PTA

以前に、私の別の著作でこう言っている。

戦後80年、学校教育は向上の一途をたどっている。
衰退しているのは、家庭教育だ。

私は、この見解を変えては、決していない。

学校の教師の対応が気に入らない?
私もついこの間、痛いほどそう感じた。
それでも
学校に責任を問うべきではないのだ。
低賃金の激務に、加えて、
トイレで排泄できるようになっただけの子供たちを
押し付けられて、
「よいこに育ててね」などと、割に合わないにもほどがある。
そもそも、学校の質を向上させたいなら、
PTAが連携して、国に予算の改善を強く求め
不適格な人間が、教師という「聖職」に就くことを
防がなくてはいけない。
教師の労働環境を改善し、副担任を雇用するべきだ。
教師という個人のQOLを上げることが、
子供たちへの教育を向上させることは、容易に想像できる。

総務関連の業務の一部を、教師だけでなく
保護者会が担うことで(担うというのは責任を負うということだ!)
教師の業務を軽減するべきだ。
いじめなどの倫理問題については、学校だけでなく
PTAの倫理委員会を設け、保護者会が主導して
「共通の利益」の確立に努め、解決するべきなのだ。
傷ついた側に寄り添うことで、
加害者への寛容を、いち早く引き出すことができるはず。
加害者の受ける痛みにも、寄り添える
そんな保護者会・・・

つまり、親同士が
誠意をもって、
問題を認識しあい
謝罪しあい
そして、
許しあう場、というのは
PTAで設けるべきであるということなのだ。
PTAが「調停」機能をもつことは
それ自体が、国の平和の礎になるのだ。

2017年2月14日火曜日

神戸の郊外でおきた、ある「いじめ」事件 7-3

母親たちの反応
: 無関心と、利己主義の暴力

多くの方が、L君の母親はともかく
息子と一緒に学校に行くことを選択したはずの
子供たちの母親がこのような反応をしたことに
驚かれたと思います。

母親たちの反応
イジメ外伝1

実は、10月25日に私の息子が犠牲になった事件が起きましたが
これには
前日にプロローグとなる事件が起きていたのです。

10月24日月曜日
彼らは、学校で、L君を責めたのです。
6人のうち、4人が一緒に学校に行くことになり、
あとの二人は友達とは言い難い関係でしたので、
それぞれ別個に行くことになりました。
しかし、息子以外の子は、みな
L君とあともう一人が、一緒に行くことになっていると
思ったらしく、
あともう一人を、L君が独りぼっちにした、と勘違い
L君を責め立ててしまったのです。

これも親が子供たちへの配慮や、布石が足りなかったがために
子供たちを非行へと駆り立ててしまった例でした。
つまり、L君の母親が犯した過ちと同じなのです。

彼女たちの言いたいことは・・・
棟方が
L君とL君の母親を孤立させる行為に
彼女たちを巻き込んだ・・・
そのせいで、子供たちが心無い行為を行ってしまった。
つまり、
彼女たちの子供たちの行いも
L君や、三年生男子たちの行いも
私が招いたことであり、
息子が遭遇した不運も私の自業自得に過ぎず
もう、私や息子に関わりたくない。
・・・そういうことが言いたいのでしょう。

そしてなにより、
自分たちの子供は、私の息子一人だけを置いて
さっさと逃げてしまったことを
恥じる気持ちもあったのでしょう。

「集合時間が変更になっただけかと思ってた」だの
(彼女たちは明らかに、「M君といっしょにいく」と返答しています)
苦しい言い訳をしてきました。
L君を仲間外れにするのはよくない、と思ったなら
そのように、意見してこればよいのではないでしょうか?
自分のところは、L君と一緒にいくとか
L君も誘ってあげたら?と話す人はいたでしょうか?
まったく、ありませんでした。

関わりたくない
その気持ちは、仕方ないと思います。
でも、私はいつも思うのです。
「傷ついた人」に寄り添うのではなく、
「自分の子供さえ難を逃れれば良い」
「巻き込まれたくない」という利己主義を行いながら
社会に対して「子供たちを守ってほしい。」と要求するのは
勝手ではないでしょうか。
個人の経験の一つ一つが社会を形成するのに。

今の子供たちや社会全体が抱える問題に
無関係な人間など、いないのです。
責任を果たさない人間に、自由はもたらされません。

L君と接点を深く持っていた唯一のお友達であるS君の母親は
事件のあと、L君の母親と話しに行きました。
でも、そのことを私に告げては来ました。
私は相手の言い分を知りたがったので、尋ねましたが
話の内容を私に「こう言ってたよ。」と間を取り持つこともなく
「言い分がずいぶんと食い違っているので、驚きました。」
それ以降、意図的に私のメールを無視しています。
(まぁ、二通ほどしか、そのあとも出していませんが)
ここでも、「議論のできない日本人」です。


L君の問題を、コミュニティ全体の問題として受け止め
一緒に向き合い
同じ共同体で生活する人たち全体の幸福のために
自分たちにできることを、能動的に模索することもなく
ただひたすら、
誰かが自分たちの安全と、健全な人間関係をもたらしてくれる
と、ここでも、サービスを要求しているのにすぎません。
貢献しないのに、奉仕を要求するのは
本当に厚かましいことです。

L君が息子にしたことを「他人事」とするなら
自分たちはL君と一緒に登校することを選択しなかった、
その事実にこそ、着目するべきだったのではないでしょうか。
本当であれば、L君がしたことを、それはそれで受け止めて
そして、それでもL君を責めないという選択へと
子供たちへ導く。それが、道徳の教育です。
家庭が担うべき最も重要な仁義の教育なのです。
傷ついた息子と私に寄り添うことで
L君が息子を尊重する気持ちに立ち返るまでの
時間を稼ぐことになるのです。
当家はそれを選択したからこそ、L君と距離を置いたのは
朝の登校について、だけ。
下校は、楽しく仲良く一緒に帰っていらっしゃい。
そう申し伝えてありました。

このような、最低限の礼節も守れない上に
今度は、息子を意図的に孤立させ、
子供たちをけしかけて、攻撃するなど
まっとうな大人のすることではありません。
本当に、恥を知るべきです。

今の日本の世の中の最大の闇は
アメリカの軍事基地問題も、郊外のイジメ問題もすべて根底には
同じ問題が存在しているのです。

貢献しないのに、奉仕を要求する。
利己主義。
それこそが、諸悪の根源です。

利己主義とは無縁でありたい
そう願う、私と私の息子からはかけ離れた思考回路です。
そもそも、共存など、無理だったのでしょう。

親がプロの親にならなくては
親が学ばなくては
子供たちが本当に幸せになる社会は訪れません。
子供を天使として、子供の無実を信じるだけでは
子供を幸せにはできないのです。

最後に、息子のこの時の息子の思いを
書き綴りたいと思います。

「おい、お前ら!」と怖い声で話しかけてきた
三年生男子は、O君から(警察での証言によると)事情をきいていたので
ある程度、息子を特定して話しかけてはいましたが
名前を呼んだわけではありません。
息子が受けてたったのです。

なぜ、受けて立ったのか。
それはまさに、その三年生男子の声が
怖い声だったので、自分が答えず
ほかのお友達の方に行ったら
何をされるかわからない。
傷つくなら、自分でなければならない・・・。
そう思ったそうです。
そして、自分を取り囲む子供たちのなかに
L君の姿があったとき
とても悲しかった、そうです。

これを書いている今も
この時の息子の気持ちを思うと
涙が止まりません。
息子のこの思いを、L君やほかのお友達の母親に話しても
きっと彼女たちにしてみれば、
息子が優しく、勇気ある子供であればあるほど
気に入らないのでしょう。
だからこそ、のちに、彼らは加害者となって
息子を傷つけるに至ったのです。

民事で訴えることも考えました。
嫌がらせの事実は、証拠もありますし
相手も認めています。
だから、理屈としては、精神的障害に対する損害賠償が
成立はする、と思います。
なにせ7歳の子供に対する嫌がらせですし。
しかし、息子の崇高な行いに対して
彼らの薄汚いお金で解決するのは、
道徳にかなわないと思いました。
そして、なにより、またここでも
子供には罪はないのですから。

転校も考えました。
しかし、何一つとして悪いことをしていないのに
私たちがリスクを負うのは、どうかと思いました。
転校するなら、彼らがすべきなのではないでしょうか。

今の私に課せられた試練は
彼らをどうやって赦すかです。
息子を手本に、その道を模索していきたいと思います。


おわり

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<いじめ事件INDEX>
1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え

神戸の郊外でおきた、ある「いじめ」事件 7-2

学校について
:業者化 教育者失格

4. 疑惑と学校の対応

今回の事件に対する学校の対応には
失望の一言です。
イジメがあったことを隠そうとする。
いつまで、そんなことをしているつもりでしょうか。

何人の子供たちが命をおとし
何人の子供たちが傷つき
何人の子供たちが犠牲になれば

学校や親たちは、危機感を覚え、それに対峙できるのでしょうか。
改善への一歩を踏み出せるのでしょうか。

学校は私たち、子育てコミュニティにとって
間違えなく、生活の中心です。
なのに、学校は、それを自覚していても
なぜ、三年生が一年生を
傷つけたのか
その根底にある、心理プロセスを解明し
加害者を真実の反省に導き
再発を防止し
被害者への何よりもの贖罪になる
・・・
いつになったら、そのことがわかるのでしょうか。

でも、学校を変えるには時間がかかります。
瘡蓋と象なみの角質の下にある真皮に訴えるには
相当な「美化テクニック」が必要です。
母親たちを啓蒙するのが先決です。


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<いじめ事件INDEX>
1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え

2017年2月7日火曜日

いじめ外伝 2

この事件の加害者となったD君のお母さんから
私に送られてきたメールです。

メールを拝読して、あまりに誤認しているようで、驚きました。ですが、同じ事象をどのようにとらえるかは自由ですし、ましてやどのようなメールを送ろうと自由です。


私のメールはこうです。
このメールは学校で事実確認が終わり
このブログに書いてある通りであったと、子供たちも認めたあとで)
学校で子供たちどうしは謝りあった後に送りました。
もちろん、学校から親にも連絡があった後です。

学校での聞き取りの内容をそのまま書きました。
学校の聞き取りは、ここに書かれている通りです。

黙っていて、何もしなければ「共犯だ!」
そんなことが言いたいのでは、今は、ありません。
でもいずれは、そうなるのです。

二年生になって、一緒に学校に行ってもらえない
そのこと自体は一向にかまわないのです。
しかし、Mがこのような言葉で傷つけられるのには
絶対に納得がいきません。
そして、これは、子供たちの問題ではないのです。
やはり、これにおいても、子供たちにはまったく罪はありません
大人の失態です。
子供の後ろに隠れて、好き勝手している貴方達の失態です。

大人の配慮の足りなさのために、
私の大切なたった一つの宝物である息子を
これ以上傷つけさせません。

イジメ加害者の子供とは
いきなり「イジメ加害者」にはならない。
暴力の種は、幼少期、低学年で植えられ
そして、子供たちの肉体の発達とともに、爆発するのです。
この種を、種のうちに排除することが
大人の責務です。
小さな「悪意」の種を、つみ
「善意」の種を植えたい。
そう思うのは私だけなのかもしれませんね。

彼女はゆとり世代だからでしょうか?
信念をもって生きる人間にとっては、
理解不能です。

加害者の親が、被害が小さいうちに
どう対応するか、
それが肝心なんです。

これではだめなんだと思います。

悪意がないならば、必死で悪意がないことを伝えなくてはいけません。
子供の名誉にかかわることです。
この人は「事実」とか「自由」という言葉をなにかと取り違えています。
「事実」という言葉が好きらしく、
当てつけのつもりもあってか
やたら使うのですが・・・
学校で、全員が一堂に介し、そうであったと認め合った
間違いないと、確認したことが
自分の知っている「事実」とちがうのなら
被害者・加害者双方の名誉と安全のために
それを説明する義務が、親ってもんにはあると思います。

It never happens all of the sudden.

Bullying.
We see many incidents reported on TV, newspaper, or in the internet.
Those incidents are only the result.
What about the start?

It never happens all of the sudden.

Every rivers started as a stream in the mountain to be ended in the sea.

Little unkindness gained its fresh and blood and changed its name as "violence", because the action takers gained more muscle and bones.  The physical growth of the action takers make little ill intention more tangible.

What if we could have "reformed" that unkindness to be "kindness" while it is little.

Every violence of young age people, has started as unkindness in the younger age, as children.

It all depends on how we, parents react, on the spot where it started.


神戸の郊外でおきた、ある「いじめ」事件 7-1

L君について
:そもそも、受け止めていないのが問題

まず、L君自身について、私の考えを申し上げます。
L君は、とても実直な、良い子です。
ただ、言葉のコミュニケーションが苦手で、
主導権に固執するあまり、まわりに合わせるというのも、
苦手です。
でも、これら何一つとして、
彼が悪いわけではありません。
しかし、
最低限のコミュニケーション能力を身に着けさせるのは、
親の責務だと思います。

L君がジャイアン、
S君がスネ夫
そして
息子がのび太
そして、きっと息子の母親の私が
ドラえもん・・・

L君を囲む人間関係をわかりやすく言えば
こうなります。

心理学を少しでもかじった人ならば、
このコメントに「?」と違和感を感じたと思います。
温泉で、お友達二人で息子の頭を押さえつけ、
水風呂に沈めた件について尋ねたときの
「覚えてない」というコメントです。

本当に、覚えてない子や、していない子供は
このように答えるでしょうか?

ともかく、たとえこの事に関して
自分の息子が「やった」とはっきり認めていないから
信じてやりたい、という親心はわかります。
しかし、否定しきれていないわけです。
「やった」可能性を否定しきれない限り
やっていた場合の、リスク対応をすべきなのではないでしょうか?
被害者である私の息子の、心のケアはもちろん、
加害者であるL君とそのお友達の心を
「友達を尊重する」よう導いてやる必要があると思います。

思えば、初めから彼はSOSを発していたのです。
我が家の廊下で、彼は、私の目の前で
一緒に来ていたお友達の腹部を
すれ違いざまに蹴りました。
理由は、「気に入らないから」です。
その直前に、私の息子とゲームをしていて
負けたからです。
その子は、関係ないのに、彼は
腹いせにその子を傷つけたのです。
私はそのことを厳しく叱りました。
すると、L君は、私を蹴りました。

息子とゲームをしていて
息子がゲームに負けると、何度も何度も
「くやしい?なぁ、くやしいやろ?」と
息子が、悔しいというまで、11回も聞いていました。
自分がまけると、「今のわざと負けたってん。」

もし、L君の母親とL君が、登校グループが解散した、
・・・
いえ、
私が誘わなかった、という事実を、見たおり、
「仲間外れにされた!」と憤慨する前に、
この二年間、L君が息子にしてきたことが、
積み重なっている事実に
目を向けるべきだったと思います。
すべては、その結果なのだと真摯に受け止め
親子で、家族でその事実と向き合い
信頼回復そして、L君自身の名誉回復のため
共に努力するべきだったのではないでしょうか。
これは決して、
「M君のところに、仲良く登校グループに
入れてもらえるようにしようね。」ということではありません。
当家と仲良くする必要もありません。
しかし、自分の息子の「名誉」の問題なのです。
自分の息子が決して悪意ある子供なのではない
自分たち親も、問題に対してきちんと筋を通す覚悟がある。
それを、コミュニティに示すのは
当然の礼儀です。

欧米では、こういうことがあると
加害者の親は、被害者にこのように言って謝罪します。
"We will make sure that it won't happen, again"
「二度とこのようなことが起こらないよう、私たちがしっかりと対処します。」
make sure とは 確証する、確認する、という意味です。
日本の親には、この責任意識が欠如していると思います。
欠如しているのに、自分の子供は小さいから
何をしても許してやってほしい。と言っているのです。

もし、L君が、すべてを「自分のしたことの結果」として
登校グループの解散を、受け入れることができていたら、
3年生の見ず知らずの男の子へ、息子のことを伝えるときにも
多少違ったニュアンスになったでしょうし
なによりも
自分の名前を使って、目の前で息子が傷つけられたわけですから
帰ってから母親に相談したのではないかと思います。
いえ、するべきことだったと思います。
母親は、この「親子の信頼関係」に着目すべきだったのです。

自分たちが私の息子を、この二年間
傷つけてきたことは棚に上げて
私が息子と登校するグループに誘わなかったことを
「仲間外れ」と批難するのは
ちょっと厚かましいです。

事実、私は、L君に少し息子について考えてほしかっただけですから
10月24日も10月25日(事件当日)も仲良く、L君といっしょに下校してきました。
L君よりも誰よりも
このL君の両親が、一番反省するべきだと、
私は思うのです。

福島出身の子供が横浜でいじめを受けた事件について
被害者の父親はこういっています
「学校より、本人たちより、なにより
親なのだ、問題は。」

L君の両親に私はこう尋ねました。
「貴方達が、子供の前で安易に
『仲間外れ』という言葉を使っていたのではありませんか?」
すると、L君の母親はこう返してきました。
「そんな事実はありません。
Lには単に『マンションのグループが解散することになった。
いい機会だから、O君と一緒にいけば』と提案しただけです。
だから、Lは仲間外れなどとは、思っていません。」

と言っています。
私は、これこそが、問題の根源なのだと思います。

自分の息子が、自分の行いを改め、乗り越えるチャンスを
ぼうに振ったのです。
なにより、自分の息子がこれまでしてきたことを反省するよりも
私の対処を、批難する気持ちがあったということでは
ないでしょうか。

そして、なによりも
自分の息子のために、同じ年の子供が傷つけられたのです。
親善大使ではないですが、
自分の息子が同じ登校グループにいるわけで
アクセスがある、ということですから
彼らからことの事情を聞き出して、全員が誠意をもって
この事件の解決に臨めるように間を取り持つのが
仁義です。

24日、事件前日に
L君が新しい登校グループに初めて入ったことを
びっくりした。
・・・このように、中心加害者となってしまった
3年生の男子が言っています。

親同士で
方便でよいので、たとえば
「入学して半年して、好きなお友達と一緒に学校に行こう」
ということになったので、L君はO君と一緒にいくことにしました。
と、いうふうに布石しておけば、子供たちは
丸く収まったのではないかと思うのです。
親たちの配慮が欠けていたおかげで、
子供たちはこともあろうか、「刑事犯罪」を犯したのです。
警察には「民事不介入の原則」があります。
警察は動くべき時にしか、動きません。
息子の登校を威圧的に妨げた時点で、L君をはじめ
O君、三年生男子、四年生女子は、道路交通法に違反したのです。
そして、手を挙げた時点で、傷害事件です。
これは、刑事犯罪なんです。
そして、子供たちの責任ではなく
これは
親たちのリスク管理のずさんさの結果なのです。

子供と言うのは、まだ考えが足りません。
まだ「調理」できないので「意気」は「生」のままです
だから、親が「考」というフライパンを持たせてやり
「心」という炎をともしてやらないといけないのです。
そうしないと、いつまでたっても、生の意気のままです。


登校時間を変更したから、事件当日
息子とL君たちのグループを遭遇できたのです。
24日、待ち合わせの時間が早くなった理由を
どうして、L君は親に言わなかったのでしょう?
息子が、3年生の男子にやり込められるのを
「当然」と思っていたか
あるいは
面白がっていたか・・・
私にはそう思えて仕方がないのです。

悪意がなかったなら
相手が誰であろうと
悪意がなかったことを、理解してもらう努力をして
初めて「名誉」を守ることになるのでは?
それが礼儀です。
被害を受けた人間を誹謗し、根拠を示せだの
なんだの・・・その場に居たのにも関わらず。
「原因を作ったのはお前で、
仲間はずれにするから悪いんだ。」と
言っているようなものです。

<L君が息子にしてきたこと>

1)友達と二人で、息子が持っていたボールを奪い、車道の方向に投げ「あれ取ってきて死んで」と言い、二人がかりで肩を押し倒し息子は尻もちをつきました。(この時、息子は最初で最後の「仕返し」をしました。L君の脚を蹴ったのです)」

2)息子を無視する様に、他の子供達に指示。(幼稚園から報告)

3)息子だけを遊びの仲間外れに(私の目の前で)

4)通学路を外れるように指示。断った息子のプールカバンを蹴る。

5)雑草を手に持てだの、雑草を食べろだの指示。従わなければ「僕の家で遊ばせてやらないからな。」と言う。

6)同じマンションの子が、息子と遊ぼうとすると、「そいつと(じっさいには名前を呼びました)遊ぶなら、俺んちではもう絶対遊ばせてやらないからな。」と言う。

7)息子に「耳に雑草入れたら気持ちいいから入れて」と提案。息子は、好奇心もあって、言われた通り実行。激痛を耳に感じ、号泣。抜けなくなっていたので耳鼻科に駆け込むはめに。

8)1)でともに息子に手をあげた友達と二人がかりで、息子の頭を押さえつけ、水風呂に沈めた。

私には、5)や7)のL君の行為の背景にあるL君の心の闇と
今回の息子との間に起きた事件の背景にあるものが、
つながっていると思うのです
気に入らない、子供を辱めて面白がる、優越感を感じる。
こういう「悪徳」からこそ、L君を救い出してやらなくてはいけません。
本物の「加害者」になってしまう前に。
救い出してやるには、まず初めに
この「悪徳」を直視し、その重大さを
ありのままに、受け止めなくてはいけないのです。
子供の「悪徳」を軽視するのは、とても危険なことなのです。
現に、L君は、8)のように
息子の命を奪ったかもしれないことを、してしまっています。
いま、「優越感」への固執を「調理」する方法を教えなければ
やはりこれも、子供の肉体の発達とともに、「暴力」として発揮され
その時こそ、もしかしたら、自分と誰かの人生に終止符を打ってしまうことに
なるかもしれない。

現実をしっかり受け止めなくては、
危機管理などできるわけありません。
最悪のケースはあり得ないなどと、
いったい何を根拠に言えるのでしょうか。


次の記事>>

<いじめ事件INDEX>
1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え


2017年2月3日金曜日

いじめ事件外伝1

息子と一緒に学校に行っている子供達
3人 息子を入れて4人

例の事件で、息子を置いて逃げた上
暴行を受けた息子が、やっとの事で逃げてきた時
「お前のせいで遅刻するやろ。」と言った子供達。

事件以来
息子を仲間外れにする様になった。

息子一人だけを、おいて
走って遠ざかり、
「登下校は、走ってはいけません。」と言われていたので
競歩のような歩き方でギリギリのラインをキープしつつ
息子が追いつくと、またもや
走り去っていく。
この数ヶ月間ずっと、続いていた。

ずっと、ずっと。

息子の言い分は、こうだ
毎日毎日、早く着きすぎて校門の前で
5分も10分も寒空の下、待たなくてはいけないし
開門前に学校に来ては行けないって言われてる。
どうしてそんなに、早く行かなくてはいけないのか
理解できない。と…

息子は我慢の限界に達していた。

ある朝、息子は集合時間の五分前に
集合場所へ
彼らは、すぐに走り去り、エントランスを抜けようとしていた。
息子がふと見ると、一人だけで学校に行こうとしていた
同じ学年の同じマンションの子供を見かけ
「一緒に学校いこうよ。」と誘った

「一人ぼっちを作らない」という理念を
息子は、守ったのだ。

息子はまだ、小学一年生
7才だ。

とにかく、
息子は一人ぼっちを作るな、という教えを守ろうとした。
が、他の子も「追いついたら逃げるべし。」という
伝統を守った。
先に到着した、子供達は、まだ開いていない校門の前で
息子達を指さして笑ったそうだ。

息子は、ついに
キレた。
「僕が、何をしたの?いつも僕が、謝らなきゃいけないの?」
先発隊
「そりゃ、M(私の息子)だけが悪いことをしたからやん。」
「二年生になったらな、(と、息子以外の三人の名前を列挙し)
俺達三人だけで学校行くから、もうMとは行ってやらへんねん。な、D君」

息子は唖然とした。

この数ヶ月間、息子はこれら三人の子供達の
母親たちから、嫌がらせを受けていた。
これ以前のブログに書いてある、嫌がらせの数々を
30をとうにすぎた、おばさん達から
7才の子供が、受けていたのだ。

<ブログから抜粋>
息子が母親たちから受けてきた嫌がらせの、主なもの

5.半年前に、親の承諾を得て差し上げたプレゼントを「もういらないから、返却します。」とメールをよこしてきて、玄関先に放置してきました。息子も目にしました。
6.放課後遊ぶ約束をしても、居留守をつかわれ、すっぽかされました。その子の母親も在宅していました。
7.  歯医者で遭遇したのですが、息子は目を合わせて手を振ったのに、あからさまに無視。
8.  Mが独りぼっちで登校するお友達を見つけて、仲間に入れて一緒に行こうとすると、ほかの子たちはさっさと早歩きで歩いていき、息子が学校の開門待ちの時に「まだ学校の門は開いてもいないのに、どうして、そんな早く行くの?僕が何かしたの?僕が謝らないといけないの?」と言うと「そりゃ、Mがいつも悪いことするからやん」「2年生になったら、俺たち3人だけで学校に行くから、Mはもういれてやらへんねん」とのこと。息子は嫌がらせや仲間はずれが終わってほしいと思いながら、昼休みに謝ったのですが、自分が何をそんなに悪いことをしたのか、まったくわかりません。

・・・・
謝ることで、これが止むんだ、と
思ったらしい。
息子は、彼らに謝り、「いいよ」と言ってもらったが
帰って来て、悔しくて仕方がない様子だった。

私は、息子に言った。
「どうしたい?」
「一人で学校いくのは、怖い。
でも、皆ずるいと思う。
僕が、なにをしたのか、結局わからない。
怖いけど、もうママを傷つけたくないし
僕… もう明日から一人で学校に行く。」

と…

私は担任に手紙を書きました。
「こんな扱いを受けなくてはいけないまでに、どんな悪い事をしたのか聞いてください。
そして、子供達をこのような行為に駆り立てた背景として、息子がこれまで母親達から受けてきた嫌がらせについてお話したいので、お時間を下さい。」と…


そうこうしているうちに
息子が言った
「僕、自分で言いたい。」
そこで、私は、担任教諭二名に立ち会いをしてくれるよう
頼みました。

「M君がどんな悪い事をしたの?」と息子の担任が、尋ねると
「いっつも、拗ねてるみたいにして、のそのそ遅いから、イライラする。」と
答えたそうです。
息子は言いました。
「僕は拗ねてたんじゃないんだよ、
悲しかったんだよ。
二年生からとは言わず、もう明日から一緒に学校に行ってくれなくていいです。
僕は、一人で学校に行きます。」

この事について、私は担任二名と話合いました。

息子の担任はまだ年若く、ほとんど、しゃべりませんでした。
もう一人の、K教諭がほとんど話していました。
まず、事の経緯は、息子の訴え通りだと、確認。
そして、息子が受けている嫌がらせの一部を話しました。
教諭たちの言動から、母親たちがすでに
「棟方さんは、自分の教育方針を押し付けてくる。」
「二年生の登校で仲間外れされるのを怒っている。」
とか、なんとか訴えて来たことを悟りました。

思ったとおりです。

K教諭は
「どうしても、一緒に行かなくてはいけないですか?」と、
全くの脈絡なしで聞いてきました。
「彼らは合わせられないし、イライラするって言ってますし。」と

私は、
「まず、息子の言う通り、もう学校には一緒に行って欲しくありません。
あの決定は、私達親子二人でだした結論です。
ただ、そういう決定は親達が、最大限の配慮を布いて
子供達に伝えられるべきです。
一緒に行かないという決定事態は問題ありません。
ただ、外される形になっている事は、多少引っかかる。
そんな悪い事を、息子がしたのか、と。
ましてやこういう事が、意地悪のネタに使われて良いものではない。
親達の関係は、どうでも良い。
お互い怒っている。私も間違ったかもしれない
私が気に入らないのは分かる。
でも、文句があるなら私に行ってくるべきだし。
攻撃するなら、私を攻撃するべき。
私が言いたいのは、本当に息子が負うべき咎なのか
と言う事。
イライラする?せっかちで、待ったりできない?
校則を破っているのはどちらですか?
息子ですか、彼らですか?
そもそも、登下校で走っても良いのですか?。」

こに問にK教諭はきう答えました。
「安全に留意して歩いて来るように、と教えています。」
「でも子供って、走ってしまうもの何ですよ。
開門に来るなと言っても、7:50には来てしまうものなんです。」

だから?

「走ってしまうものだから、だから言い続けないといけない。
それが教育だ。
イライラするだとか、早く行きたいという彼等の我欲を
常に息子が叶えなくてはならないのか。
校則を破ってまで?
どういうことか、それは。
こういう事を機に、我欲を乗り越えて
コミュニティの共通の利益に貢献する事を
学ばなくてはいけないのでは?」

さぁ、ひっくり返らないように、ご用意ください。
K教諭は言いました。
「そんな事が出来たら、この世から悪はなくなるんです。」

とにかく、私は、彼等をして、息子に謝罪せしめよと依頼しました。

二つ目の波が来ます。

「必要ですか?」

私は、訪ねました。
「どうして、必要ないのですか?」
「M君も約束を破っているという面では、非があるのかな、と思って。」
これには、息子の担任も首を動かさずにはいられませんでした。
私は、聞きました。
「息子に、どんな非があるのですか?」

K教諭は
「四人でいっしょに行く約束だったのに、勝手に一人増やしたから。」

日本の教育が、終わっている。
そう感じました。

思いやりの行為と、意地悪が同列で語られ
同じ約束違反として裁かれるのです。

私は、言いました。
「この件において、息子に非は一切ありません。
毎日毎日、早く着きすぎて校門の前で
5分も10分も寒空の下、待たなくてはいけないし
開門前に学校に来ては行けないって言われてる。
どうしてそんなに、早く行かなくてはいけないのか
理解できない。
この主張に、一点の非合理性も見られません。

1万歩譲って息子にも非があるなら
どっちも謝らない、ではなく
どっちも謝る、という選択肢を採るべきでは?」

ついに、息子の担任教諭が口を開きました。
「登下校のルールを、もう一度しっかり教えなくてはいけません」

次の日、彼等は呼び出され、息子の担任によって
謝罪へ促されました。
息子も、「キツイ言い方をして、ごめんね。」
と謝罪したそうです。

そして
全体に対して「開門前には登校しないこと。走らないこと」指導があったそうです。

Ryo Discovers the World 最終回 五妃街と神農街

Rei and Ryo's Taiwan review, the last chapter. 一ヶ月に渡ってお送りした、台湾シリーズの最終回です。