:そもそも、受け止めていないのが問題
まず、L君自身について、私の考えを申し上げます。
L君は、とても実直な、良い子です。
ただ、言葉のコミュニケーションが苦手で、
主導権に固執するあまり、まわりに合わせるというのも、
苦手です。
でも、これら何一つとして、
彼が悪いわけではありません。
しかし、
最低限のコミュニケーション能力を身に着けさせるのは、
親の責務だと思います。
L君がジャイアン、
S君がスネ夫
そして
息子がのび太
そして、きっと息子の母親の私が
ドラえもん・・・
L君を囲む人間関係をわかりやすく言えば
こうなります。
心理学を少しでもかじった人ならば、
このコメントに「?」と違和感を感じたと思います。
温泉で、お友達二人で息子の頭を押さえつけ、
水風呂に沈めた件について尋ねたときの
「覚えてない」というコメントです。
本当に、覚えてない子や、していない子供は
このように答えるでしょうか?
ともかく、たとえこの事に関して
自分の息子が「やった」とはっきり認めていないから
信じてやりたい、という親心はわかります。
しかし、否定しきれていないわけです。
「やった」可能性を否定しきれない限り
やっていた場合の、リスク対応をすべきなのではないでしょうか?
被害者である私の息子の、心のケアはもちろん、
加害者であるL君とそのお友達の心を
「友達を尊重する」よう導いてやる必要があると思います。
思えば、初めから彼はSOSを発していたのです。
我が家の廊下で、彼は、私の目の前で
一緒に来ていたお友達の腹部を
すれ違いざまに蹴りました。
理由は、「気に入らないから」です。
その直前に、私の息子とゲームをしていて
負けたからです。
その子は、関係ないのに、彼は
腹いせにその子を傷つけたのです。
私はそのことを厳しく叱りました。
すると、L君は、私を蹴りました。
息子とゲームをしていて
息子がゲームに負けると、何度も何度も
「くやしい?なぁ、くやしいやろ?」と
息子が、悔しいというまで、11回も聞いていました。
自分がまけると、「今のわざと負けたってん。」
もし、L君の母親とL君が、登校グループが解散した、
・・・
いえ、
私が誘わなかった、という事実を、見たおり、
「仲間外れにされた!」と憤慨する前に、
この二年間、L君が息子にしてきたことが、
積み重なっている事実に
目を向けるべきだったと思います。
すべては、その結果なのだと真摯に受け止め
親子で、家族でその事実と向き合い
信頼回復そして、L君自身の名誉回復のため
共に努力するべきだったのではないでしょうか。
これは決して、
「M君のところに、仲良く登校グループに
入れてもらえるようにしようね。」ということではありません。
当家と仲良くする必要もありません。
しかし、自分の息子の「名誉」の問題なのです。
自分の息子が決して悪意ある子供なのではない
自分たち親も、問題に対してきちんと筋を通す覚悟がある。
それを、コミュニティに示すのは
当然の礼儀です。
欧米では、こういうことがあると
加害者の親は、被害者にこのように言って謝罪します。
"We will make sure that it won't happen, again"
「二度とこのようなことが起こらないよう、私たちがしっかりと対処します。」
make sure とは 確証する、確認する、という意味です。
日本の親には、この責任意識が欠如していると思います。
欠如しているのに、自分の子供は小さいから
何をしても許してやってほしい。と言っているのです。
もし、L君が、すべてを「自分のしたことの結果」として
登校グループの解散を、受け入れることができていたら、
3年生の見ず知らずの男の子へ、息子のことを伝えるときにも
多少違ったニュアンスになったでしょうし
なによりも
自分の名前を使って、目の前で息子が傷つけられたわけですから
帰ってから母親に相談したのではないかと思います。
いえ、するべきことだったと思います。
母親は、この「親子の信頼関係」に着目すべきだったのです。
自分たちが私の息子を、この二年間
傷つけてきたことは棚に上げて
私が息子と登校するグループに誘わなかったことを
「仲間外れ」と批難するのは
ちょっと厚かましいです。
事実、私は、L君に少し息子について考えてほしかっただけですから
10月24日も10月25日(事件当日)も仲良く、L君といっしょに下校してきました。
L君よりも誰よりも
このL君の両親が、一番反省するべきだと、
私は思うのです。
福島出身の子供が横浜でいじめを受けた事件について
被害者の父親はこういっています
「学校より、本人たちより、なにより
親なのだ、問題は。」
L君の両親に私はこう尋ねました。
「貴方達が、子供の前で安易に
『仲間外れ』という言葉を使っていたのではありませんか?」
すると、L君の母親はこう返してきました。
「そんな事実はありません。
Lには単に『マンションのグループが解散することになった。
いい機会だから、O君と一緒にいけば』と提案しただけです。
だから、Lは仲間外れなどとは、思っていません。」
と言っています。
私は、これこそが、問題の根源なのだと思います。
自分の息子が、自分の行いを改め、乗り越えるチャンスを
ぼうに振ったのです。
なにより、自分の息子がこれまでしてきたことを反省するよりも
私の対処を、批難する気持ちがあったということでは
ないでしょうか。
そして、なによりも
自分の息子のために、同じ年の子供が傷つけられたのです。
親善大使ではないですが、
自分の息子が同じ登校グループにいるわけで
アクセスがある、ということですから
彼らからことの事情を聞き出して、全員が誠意をもって
この事件の解決に臨めるように間を取り持つのが
仁義です。
24日、事件前日に
L君が新しい登校グループに初めて入ったことを
びっくりした。
・・・このように、中心加害者となってしまった
3年生の男子が言っています。
親同士で
方便でよいので、たとえば
「入学して半年して、好きなお友達と一緒に学校に行こう」
ということになったので、L君はO君と一緒にいくことにしました。
と、いうふうに布石しておけば、子供たちは
丸く収まったのではないかと思うのです。
親たちの配慮が欠けていたおかげで、
子供たちはこともあろうか、「刑事犯罪」を犯したのです。
警察には「民事不介入の原則」があります。
警察は動くべき時にしか、動きません。
息子の登校を威圧的に妨げた時点で、L君をはじめ
O君、三年生男子、四年生女子は、道路交通法に違反したのです。
そして、手を挙げた時点で、傷害事件です。
これは、刑事犯罪なんです。
そして、子供たちの責任ではなく
これは
親たちのリスク管理のずさんさの結果なのです。
子供と言うのは、まだ考えが足りません。
まだ「調理」できないので「意気」は「生」のままです。
だから、親が「考」というフライパンを持たせてやり
「心」という炎をともしてやらないといけないのです。
そうしないと、いつまでたっても、生の意気のままです。
登校時間を変更したから、事件当日
息子とL君たちのグループを遭遇できたのです。
24日、待ち合わせの時間が早くなった理由を
どうして、L君は親に言わなかったのでしょう?
息子が、3年生の男子にやり込められるのを
「当然」と思っていたか
あるいは
面白がっていたか・・・
私にはそう思えて仕方がないのです。
悪意がなかったなら
相手が誰であろうと
悪意がなかったことを、理解してもらう努力をして
初めて「名誉」を守ることになるのでは?
それが礼儀です。
被害を受けた人間を誹謗し、根拠を示せだの
なんだの・・・その場に居たのにも関わらず。
「原因を作ったのはお前で、
仲間はずれにするから悪いんだ。」と
言っているようなものです。
<L君が息子にしてきたこと>
1)友達と二人で、息子が持っていたボールを奪い、車道の方向に投げ「あれ取ってきて死んで」と言い、二人がかりで肩を押し倒し息子は尻もちをつきました。(この時、息子は最初で最後の「仕返し」をしました。L君の脚を蹴ったのです)」
2)息子を無視する様に、他の子供達に指示。(幼稚園から報告)
3)息子だけを遊びの仲間外れに(私の目の前で)
4)通学路を外れるように指示。断った息子のプールカバンを蹴る。
5)雑草を手に持てだの、雑草を食べろだの指示。従わなければ「僕の家で遊ばせてやらないからな。」と言う。
6)同じマンションの子が、息子と遊ぼうとすると、「そいつと(じっさいには名前を呼びました)遊ぶなら、俺んちではもう絶対遊ばせてやらないからな。」と言う。
7)息子に「耳に雑草入れたら気持ちいいから入れて」と提案。息子は、好奇心もあって、言われた通り実行。激痛を耳に感じ、号泣。抜けなくなっていたので耳鼻科に駆け込むはめに。
8)1)でともに息子に手をあげた友達と二人がかりで、息子の頭を押さえつけ、水風呂に沈めた。
私には、5)や7)のL君の行為の背景にあるL君の心の闇と
今回の息子との間に起きた事件の背景にあるものが、
つながっていると思うのです
気に入らない、子供を辱めて面白がる、優越感を感じる。
こういう「悪徳」からこそ、L君を救い出してやらなくてはいけません。
本物の「加害者」になってしまう前に。
救い出してやるには、まず初めに
この「悪徳」を直視し、その重大さを
ありのままに、受け止めなくてはいけないのです。
子供の「悪徳」を軽視するのは、とても危険なことなのです。
現に、L君は、8)のように
息子の命を奪ったかもしれないことを、してしまっています。
いま、「優越感」への固執を「調理」する方法を教えなければ
やはりこれも、子供の肉体の発達とともに、「暴力」として発揮され
その時こそ、もしかしたら、自分と誰かの人生に終止符を打ってしまうことに
なるかもしれない。
現実をしっかり受け止めなくては、
危機管理などできるわけありません。
最悪のケースはあり得ないなどと、
いったい何を根拠に言えるのでしょうか。
次の記事>>
<いじめ事件INDEX>
1. 事件
2. L君との一年半…
3. 登校グループ
4. 疑惑と学校の対応
5. 警察での聴取と真相
6. 母親たちの反応
7. 私の考え
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