登場人物
前のエピソード
のっぴきならない事件ではありましたが、
私としては、そうやって息子や
ちょっと神経質で口うるさい私がコミュニティにいることで
コミュニティの倫理の質が高まったらいいや、と思い
その後も、角田さんだけでなく、斎藤永君も家に迎えて遊ばせていました。
むしろ、積極的に遊ぶように(今思えば、これが一番の間違えであり、私の傲慢のなせる業だったのです)亮にも促しました。
子供のすることですし、一度や二度の過ちで、コミュニティーとの付き合いを全否定するのは、まだ早いと考えたのです。
私は子供が大好きなので、永君や倫太郎君のことも、可愛く思っていました。
私の怒りの矛先は、むしろ、彼らの母親でだったのですが、そこは、クリスチャンの弱みと言いましょうか・・・「神が赦されているのだから、人は裁いてはいけない」と思ったのです。チャンスは与えられるべきだし、私も乗り越えるべき試練だと思ったのです。
孤立させるのを恐れたのは・・・
ここで申し上げておきたいのですが、倫太郎君の孤立を誰よりも恐れたのは、ほかでもない私です。
亮は、番組を見ていただいてもわかりますが、語彙も豊富で、社交的です。
新築のパームシティの子供たちが小学校にあがったら、パームシティで友達コミュニティの主流を得るのは、亮であるのは一目瞭然でした。
言葉数が少なく、自分の気持ちをうまく言葉で表現できない倫太郎君は、きっとマンションの中で浮いてしまうのでは?と考えました。
ジャイアン化
体の大きい子供たちというのは、本能的に自分が「カワイイ」と、もてはやされる回数が少ないと感じているものです。だから、二つの傾向に分かれると思うのです。やたら、大人に自分が「まだ小さい子供なの~」とアピールするか、自分が子供社会で主導権を握るべく暗躍する・・つまりジャイアン化するか・・・
永君も倫太郎君も、幼稚園で一番背が高い子と、二番目に背が高い子です。
永君は、ジャニーズ事務所が注目するのでは?と思うほど、美男子です。亮が転園してくるまでは、かけっこも早く、振り返って笑えば、そこに女子が群がっていました。サッカーだって一番上手です。
亮は、顔かたちは、残念な感じですし、背も今時の水準では「中の上」です。ただ・・・、まず、幼稚園がキリスト教の幼稚園で、本物のクリスチャンたる亮。必然的に先生は無意識に息子を擁護するでしょうし、少なくとも、子供の目にはそう映ることが多いと思います。そして、息子は体操を習っているので、幼稚園では「側転の亮くん」と呼ばれるほど・・・。体育重視のこの幼稚園では、これも先生が息子をほめる機会が増えてしまうでしょう。走りも早いです。さらに、今のご時世、英語が話せる子供は、多少顔かたちが悪くても、振り返って笑えば、女子が後をついてきている可能性は高いです。
永君が息子を嫌ったのは、おそらくこれが原因です。
だから、私としては、永君をないがしろにはできなかったのです。
なんとか、この三人が友情をはぐくんで「ワンダフル・スリー」じゃないですけど
地域の三アイドルみたいになったらいいんじゃないかな~と思ったのです。
いや・・・甘かったです。
とにかく、二人のジャイアンと、のび太な亮・・・そして
私がドラえもん。
こういう構図が少しずつ出来上がってしまっていました。
いや、亮が本当に「のび太」だったら・・・まだ救いがあったのかもしれません。
かかとおとし事件
ある日、倫太郎君と永君がうちに遊びに来ました。
永君は、一人で亮の部屋でおもちゃで遊びはじめ、
亮と倫太郎君は、ゲームで遊び始めました。
亮がゲームに勝って、倫太郎君は機嫌が悪くなり、
出ていこうと思ったのか、永君のところに行こうと思ったのか、
とにかく、逆に亮たちがいる部屋に行こうと思った永君と
倫太郎君が廊下ですれ違いました。
私も倫太郎君の機嫌が悪かったので気になって、倫太郎君の後を追ったのですが
廊下で、すれ違いざまに、永君のみぞおちを、踵で蹴り落したのです。
私はすぐに、倫太郎君を叱りました。
我が家の屋根の下で、そのようなこと、絶対許しません。
私は、床に膝をついて、倫太郎君の手を握り
目を見て厳しく言いました。
「倫太郎君、おなかには大切なものがいっぱい入ってるの」
倫太郎君は言いました
「大切なものって?」
私「胃とかがね・・・」
倫太郎君「"い"ってなにぃ?」
私はこういうことでは負けません。
とにかく!
自分が気に入らないことがあるからって、人に暴力を奮うなどもってのほか!
と強く言い聞かせました。
すると、倫太郎君は、壁にかかっている時計を指さしました。
もう帰る時間だから帰らせろ、と無言で訴えてきたのです。
私は「何を言ってるねん!自分のしたこと考えや」と言いました。
そしたら、なんと、倫太郎君は、床に座っていた私の脚を蹴ったのです。
フィジカル・プロテスト
倫太郎君は口数が少ないのですが、口が達者ではあるというのは
わかっていただけると思います。
そして勝てないとわかると、フィジカルな形で抗議してくるのです。
子供が何かを恐れ(あるいは、畏れ)服従する気持ちを持つことは
とても大切なことです。
子供に、根拠のない「万能感」を植え付けることと
子供の権利を尊重することは、異質なことです。
最近の子供は、この根拠のない「万能感」に支配されています。
大人は尊敬するに値せず
自分たちのために存在する。
何をしても、言っても許される。
大人に逆らい、礼儀を尽くさない子供が
「媚びない子」「かっこいい子」と評価される風潮の危険性を
私は危惧しています。
「クレヨンしんちゃん」の影響でしょうか・・・
イジメの加害者は、たいていどちらかと言うと「ヒーロー」として
幼少期を過ごします。
いいかげん、社会は気づかなくてはいけないのです。
顔が笑ってるねんって!
倫太郎君を諭していたちょうどその時、角田恵美さん(倫太郎君のお母さん)が迎えに来ました。
私は事情を説明しました。
恵美さんは、やはり満面の笑みで「ごめ~ん、そうなん?倫太郎わかったん?あかんで。」と言いました。
顔が笑ってしまう人って・・・損だなと思いました。
申し訳なさそうな顔が、反省を生むこともある
一年生の終わりに・・・倫太郎君ではないのですが
亮が別のお友達に「好きな女の子の名前をばらされたくなかったら、金を持ってこい」と言われたことがあります。その子のお母さんは謝りに来てくれたのですが、やはり、満面の笑みで「んもう・・・っすいません!うちの子がバカなこと言って・・・」と言いながら近づいてきました。
世のお母さんたち、
嘘でも良いので、申し訳なさそうな顔をつくれるようにしてください。
それで丸く収まることもたくさんあるのです。
儀礼が礼儀を果たすこともあるのです。
ひっくり返るだけなのですから。
パスカルは言いました。(パスカルの原理の、ブレーズ・パスカルは哲学者で、神学者でもあります。)「神を見たことがないから、祈っても仕方がないという人には、祈りの形を教え、とにかく祈らせなさい。おのずと神の存在を見るだろうから」
つまり、入れ物が内容を発生させることもある、ということです。
申し訳なさそうな顔や、態度をとることで、少なくとも
相手の寛容を引き出すタイミングが早まると思います。
そうやって、摩擦を少なくしておけば
コミュニティという「体」が「かゆく」なることもなくなり
かきむしらなくてもよくなります。
つまり、被害が小さくなるのです。
そうするうちに、本当に、何が問題なのかを直視する余裕が生まれるのです。
「りんじゅのさと」は絵本作家 棟方玲宇(むなかたれい)のオフィシャル・ウェブサイトです。 「玲樹(りんじゅ)」とは歌人でもある棟方のペンネームです。 Welcome to the official website of Rei Munakata, a children's book creator.
2017年5月30日火曜日
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