2017年11月5日日曜日

私が「基督教会」を信頼していなかった理由。

歴史を学んだ人なら、きっと今巷で
「キリスト教会」とよばれる
集団、組織に疑いの目を向けるはずです。

原因は
コンスタンティヌス1世です。
彼はキリストが生きていた時代から
300年もあとに生きたローマ皇帝です。
このコンスタンティヌスが
今巷で「キリスト教会」と呼ばれる
組織の基盤を作りました。

彼はクリスチャンですらありませんでした。
それどころか、
ミトラ教という、異教の神を崇拝していたのです。

彼はただ単に、政治的にクリスチャンを利用したかっただけで
ローマでのキリスト信仰を認め、
ローマ市民にクリスチャンに対する迫害を辞めさせる代わりに
キリスト教を組織体制化したのです。

太陽崇拝だったミトラ教ですから
日曜日を「聖なる日」Holy Day→Holidayとしていました。
英語では今も、日曜日はSundayですが、
ローマの公用語だったラテン語から出た言葉を話す国々では
日曜日は今、Domenica, Domingo, など
ラテン語のDomenicus (神の日)という言葉から発展された言葉が
日曜日を意味する言葉になっていますが、
これをそのように呼ぶようにしたのは、コンスタンティヌス帝です。

これは、一見
「コンスタンティヌス帝もキリスト教に傾いていたのではないか?」と
思えるかもしれません。
しかし、ミトラ教徒だったコンスタンティヌス帝がクリスチャンになったのは
なんと
いまわの際
つまり、死の直前だったのです。
そんなギリギリになるまで、頑固にクリスチャンにはならなかったのです。

コンスタンティヌス帝は、キリストが礼拝日を
はっきり指定しなかったのをいいことに
クリスチャンにも自分たちの聖日を守らせようとしたのです。
つまり
ミトラの神とキリストを、すり替えようとしたのです。
キリストが礼拝日を指定しなかったのは、
単に、ユダヤ教の「安息日」を守ることこそが、
キリストの意志だったから・・・
変える必要がないからです。

ヨーロッパに行くと
教会がたくさんありますが、
教会に入り、十字架に向かうと
必ず、東に向かっていることになります。
東は太陽が生まれる方向で
ミトラ教徒にとってとても大切な方角でした。
この建築ルールを定めたのはだれかと言うと
コンスタンティヌス帝です。

ユダヤ人にとって、一日は日没からはじまり
翌日の日没で終わるのです。
聖書に、「~夕となり、朝となった。」とありますが
ユダヤ人は日没から一日が始まるのです。

さて安息日というのは、この世界を創造された神が
七日目に休まれたということに由来します。
一週間は、最初の日昇があった第一日目たる日曜日から始まり
最後の土曜日に終わります。
つまり、安息日とは土曜日のことなんです。
(現代の時間のとらえ方でいくと
金曜日の日没に土曜日がはじまり
土曜日の日没に土曜日が終わり、日曜日が始まるのです)
日本語でも土曜日は「土星」の曜日という表現です。
英語でも土星の曜日を示す Saturdayです。
でも、ラテン語から派生している
イタリア語、スペイン語などの言葉では
Sabato, Sabadoと、土星とは関係ない言葉が曜日を表しています。

しかし、土星は「サタン」
ユダヤ人にとっては「悪魔」を意味しています。
それまで、ローマでは土曜日は
Saturdi (サトゥルディ)土星の曜日 と呼ばれていました。
これを Sabadoに変えたわけですが
ユダヤ人の「安息日」「サバシュ」を尊重したからです。
ご機嫌取りだったのです。

そうやって、サバシュに対しても緩和策をとって
しかしちゃっかり
Holy DayはSoledi(ソレディ 太陽の曜日 日曜日)にし
ミトラ教の風習を優先させました。

クリスマスをミトラ教で最も大切な祭事である
冬至、12月25日にしたのも、コンスタンティヌス帝です。
彼は321年3月7日、日曜を「聖なる日」(ホリデイ=休日)宣言し
安息日を取り消しました。
この時点で、コンスタンティヌスはクリスチャンだったでしょうか?
いいえ。まだ、この時、コンスタンティンヌス帝は
ミトラ教徒です。

つまり、いま巷で
「きりすと教」と呼ばれるもの
「きょうかい」と呼ばれるものの基礎のほとんどをつくったのが
コンスタンティヌス帝です。

神学者ジャン・カルヴァンは
「キリスト教要綱」を著したことで有名ですが
もう一つの著書 「信仰の手引き」のなかで、

従ってこの日(安息日)を迷信的に遵守することは、キリスト者から遠ざけられねばならない。
旧約の安息日は廃止された
ユダヤ人によって守られた日は捨てられた。(それが迷信を駆逐する良策だったからである。)その代わりに、この用のために他の一日が制定されたのである。つまりこれは、教会の秩序と平和とを守り保つために必要である。

と述べています。
カルヴァンはルターに並んで、宗教改革に貢献した人物ではありますが
問題は、どうして安息日が取り消されたかという
歴史的事実を完全に誤解していることです。
彼の言う「教会」というのが
クリスチャンでもない人物によって、政治的便宜で定められたものなのを
彼は全く無視しているのです。
それもそのはずで、カルヴァンが生きていたのは16世紀
つまり、キリストが生きていた時代から、1600年もたっていて、
カトリック教会の成立からも1200年経っているのです。
カトリック教会を改革しているつもりでも、
けっして、その「偶像」から簡単に逃れられないのも
無理はありません。

しかし
私たちは、二千年の時を超える
異教徒の嘘に載せられることなく
ひたすら、キリストを見つめていたいと考えています。

キリストは、創造主であるユダヤの神の真理を
自らの命をもって表された方です。
ですからイエス様にとっても「安息日」は意味のあるものであり
簡単に軽んじられるべきものでは、なかったのです。

キリストが復活なさったのが日曜日だから
というのが、ちまたの「きりすと教徒」の言い分ですが
これこそまさにコンスタンティヌス帝が当時口にした言い訳ですし
それならば、Holiday を日曜日にする以前に、使徒ペテロたちが
日曜に礼拝を切り替えていたはずです。
しかし、キリストの死後、310年もの間
使徒たちを含めて、キリスト教徒はやはり、
サバシュを守っていたのです。
コンスタンティヌスが、曜日の呼び名を変えて
法令化しなくてはならなかったというのが
なによりもの証拠です。
こういうことから、私は
教会という組織が、キリストとつながっているとは考えていませんでした。
とんでもない詐偽に載せられている
二千年もの時を超えて!

・・・そう考えていたのです。
その考えは一年間ほどにわたり、いったん
抑えられ、私は教会へ戻ります。
去年の10月に
息子が遭遇したイジメ事件から始まった一連の事件をきっかけに
どうして、そうしたのか
そして、それからまた、どうして
世俗の教会を離れ
自らの家を「家の教会」としてイエス・キリストに捧げたのか
それが次回の私の証です。

Youtube 作品もぜひごらんください。
https://youtu.be/gyuPMN1PHWM

0 件のコメント:

コメントを投稿

Ryo Discovers the World 最終回 五妃街と神農街

Rei and Ryo's Taiwan review, the last chapter. 一ヶ月に渡ってお送りした、台湾シリーズの最終回です。