2017年11月19日日曜日

いるやん!イエスの弟子

さて、ほかに書かなくてはいけないことが、間に入ってきたので
私の「イエスへの弟子入り」の経緯を書くのが遅れました。

去年の10月まで、私はどちらかと言うと
教会が嫌いでした。
理由はこのとおりです。

教会組織がしていることは、とんでもない絵空事に見えたのです。
どうして、聖書に書いてある使徒たちと
自分たちがこんなにも違うのか、考えないのだろうか?
と・・・思っていました。

ところが、去年の10月、同じマンションに住む子供たちとその親に
息子がイジメられ、嫌がらせが続きました。
30歳をとおに超えたおばはんらが、息子をあからさまに無視したり
プレゼントを突っ返してきたり。

つらい日々でした。
それまで、同じ学年の子供たちの間で、中心的人物だったはずの息子が
今度は、母親たちの意図的な「村八分」にあったのです。
しかも、息子は何もしていません。
暴力を奮ったり、死んでなどの言葉で息子を傷つけたのは
あちらです。

私は鬱にかかり、息子を道ずれに自殺を考えました。
魂の救いがほしくて、教会にすがったのです。
今この時にも、キリストの弟子がいるとは知らず
もういないんだから、イエスの教えを知るには
教会しかないんだと思いました。
教会員になり、教会を中心とした生活が始まり
私は少しずつ、自尊心を取り戻しました。

しかし、教会でも、いろんな疑問がありました。
聖書の学びの中で、教会リーダーが「教会は仏壇にもっと寛容にならないと、信者を増やせない」というのを聞いたり(べつに、教会は「仏壇を壊せ!」と強要などしてないのに)
BBQで、未信者のお友達を連れてきたら、その彼女に向かって「え?サイズのわりに食べないのね。」と、教会リーダーの奥方が言ったり
とにかく
どうして、この人たちは、聖書に書いている信徒たちみたいに
癒せないんだろう?異言を話さないんだろう?
ずっとわからずにいました。

この教会の人たちは、平気で挨拶をしなくなったり、睨んだり、無視したり避けたり
ジャマイカ人の家族で来ている人たちをチヤホヤ依怙贔屓したり・・・
これがキリストの弟子なのかな・・・と思ったり。
ただの仲良しグループなんじゃ?
と思いました。
それでも、居場所を求めて私は自分に言い聞かせました。
仕方がないんだ。いい人たちなんだから、これでいいんだ。

ところが、そんなときに、
この人の動画をみたのです。

デンマークのキリストの弟子 トーベン・ゾンダーガードです。

ショッキングでした!
いるやん!
おびただしい数の人が、異言を話し、悪霊を追い出し、なにより
手をかざしてイエスの御名によって病気、ケガが癒されています。
まるで、バプテスマのヨハネがよみがえったかのようでした。


私は、怖くなりました。

わたしは、救われていない!

17歳の時に受けた洗礼はただの水浴びで
聖霊は明らかに私の中にいない!

聖書の言う救いに程遠い。
リョリョは?!
母親として、息子を正しい信仰に導かなくてはいけない。
気が遠くなりました。

イエス様!私はあなたの真理の道にたどり着きたいのにたどり着けないでいます。
どうか、キリストの弟子に会わせてください。

私は3日間の断食をしました。
その直後、紆余曲折を経て、出会ったのが、「Love of Christ Ministry International」のリーダー、ロバート・クルソン氏です。
トーベンがバプテスマのヨハネなら、ロバートは、バルナバのような人で、癒しの業を行う「器」でもあるのですが、柔和で、朗らかな人柄で、迷える魂を聖霊との出会いに導いていきます。

もともといた教会に文句があるわけではありません。えこひいきされていない方は、むくれたくなる時もありましたが、他のところで、さんざんチヤホヤされる人生を歩んできた私ですから、中心的人物でなくても喜ぶことができるよう、試練の機会をいただいたことを、感謝していました。
やっと、居心地も良くなってきたのです。

でも、単に、この世を創られた神の命令に従いたかったのです。
私はロバートによる水の洗礼を受けることを決めました。
そして、はっきりと「教会から離れることで、そこにいる人たちを啓発しなくてはいけない。」という声を聞いたのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿

Ryo Discovers the World 最終回 五妃街と神農街

Rei and Ryo's Taiwan review, the last chapter. 一ヶ月に渡ってお送りした、台湾シリーズの最終回です。