2017年11月12日日曜日

神の息吹

聖霊って何?

おそらく、父なる全知全能の神についてや
イエスについてよりも
この「聖霊」についての説明が一番難しいのです。

でも、説明が一番難しいからこそ、それが一番大切なんです。


~~~

創世記
Genesis
2:7
やがて、主なる神が人を造る時がきました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。そこで人は、生きた人格を持つ者となりました。
 Then the Lord God formed a man[c] from the dust of the ground and breathed into his nostrils the breath of life, and the man became a living being.

ヨハネ
John
20:19-23
同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸にしっかりかぎをかけ、肩を寄せ合うようにして集まっていました。その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」イエスはまず、こうあいさつされてから、 20 手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。 21 イエスはもう一度言われました。「平安があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わします。」 22 そして一同に息を吹きかけ、また言われました。「聖霊を受けなさい。 
 On the evening of that first day of the week, when the disciples were together, with the doors locked for fear of the Jewish leaders, Jesus came and stood among them and said, ‘Peace be with you!’ 20 After he said this, he showed them his hands and side. The disciples were overjoyed when they saw the Lord.
21 Again Jesus said, ‘Peace be with you! As the Father has sent me, I am sending you.’ 22 And with that he breathed on them and said, ‘Receive the Holy Spirit. 23 If you forgive anyone’s sins, their sins are forgiven; if you do not forgive them, they are not forgiven.’

使徒の働き
Book of Acts
2:1-2
さて、イエスの死と復活から、七週間が過ぎました。五旬節(ユダヤ教の祭りの一つ)の日のことです。信者たちが一堂に集まっていると、 突然、天からものすごい音がしました。まるで、激しい風が吹きつけるような音です。それが、家全体にごうごうと響き渡ったのです。
When the day of Pentecost came, they were all together in one place. Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 


「神の息吹」が登場するところを一部抜粋しました。
聖霊の正体をお話する前に、欠かせない話題です。
ヨハネの福音書二十章22節にちょろっと登場している、あの「聖霊」です。

そうだ・・・
ヨハネの福音書の第一章1節も大切です。


ヨハネ
John
1:1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

「言」(ことば)と読みます。
ヨハネは福音書を記すにあたって
彼が「聖書」と信じていた「旧約聖書」の創世記の書き出しに似せて書きました。
そもそも、自分の書いたものが「聖書」と呼ばれるようになるとは思っていなかったと思いますが、ユダヤ教の経典である旧約聖書と似せて書きだしたのには、イエス・キリストがユダヤの神と一体たる「神」であることを、鮮明に証するために、そのようにしたのでしょう。
福音とは、イエスが天地万物を創造した父なる神が、人の肉をもった生命体だということを伝え広めることです。

さて、天地創造の時、神は、ひたすら「言」のみで、天地を創造しました。
「光あれ~」って・・・。
ひたすら、いろいろ「言う」ことで、次から次へと創造されるわけです。
私はコンピューター人間なので、常々おもうのですがこれは、いわゆる「コマンド」ですね。
でも、「言う」「言を放つ」という行為はどういう行為なのでしょうか?

肺で作られた息を、声帯が音にして、脳から発せられた言語情報に合わせて、舌と歯、口腔が調節されて発信されるものですよね。

つまり、情報と息吹が「言」の正体だということです。
つまり、神の息吹とは「神の性質」・・・神性そのものだということです。

創世記の一節を見てみてください。
神は人を泥から作り出すわけですが、そこに、息吹を吹きかけるわけです。
「人になれ」とか「うごけ」とかコマンドで作ったのではなく、息吹を吹きかけたのです。これはつまり、この時、神は自らの神性を、人に授けたということになるのです。

しかし、私たちは、神の「コマンド」に背いた、アダムとエヴァの子孫です。
あの、果物をぱくりとかじった一件で、私たちのDNAの「情報」が書き換えられたのです。

イエスは、この「情報」を再び、神の「情報」に戻すため、「バグ」を修正しに、この世にいらしたのです。

ですから、イエスは壁をすりぬけ(笑)イエスを見捨てた罪悪感に打ちひしがれる弟子たちの前に、ひょいと現れた後、穴の開いた手を見せて「よ!シャローム!(平安あれ)」と言い、そして、彼らに「息吹」を吹きかけます。
この息吹はまさに、天地を創造し、我々人間に神と同じ性質を与えたあの「息吹」です。

その場に居た弟子たちの「情報」はその時点で書き換えられたのです。

そしてさらに、息吹は「ドスン!」と大きく働きます。
それがペンテコステの日の息吹です。大きな音となって信者たちに臨みます。
そうして、このあと、炎の舌となり、彼らに働き、クリスチャンたちは異言(自分の言葉ではない「ことば」のこと)を口走るようになるのです。
こうして、クリスチャンたちは、再び神性を取り戻したわけですが、神性を取り戻したから、聖霊を受け取るようになるのです。

聖書が証しています。
神の息吹とは・・・神の神性そのものであると・・・
さて、それでは、そのあとに来る、聖霊とは・・・それは次回、お話ししましょう。
「そのもの」と「作用」の違いです。

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