2018年9月14日金曜日

「666」の印が渦巻いている

教皇来年来日?
私とタンゴ踊りにくるのかな(笑)

さて、主は「ミトラの子」が
ペテロの権威を「偽証」しているのを
なんとお考えになる?

主が私にお示しくださった事を書こうと思う。
主は「ハッケヨーイ」!と大きな声で叫ばれた。
私の時が満ちたからだ。

これから話すのは、教皇の個人批判ではない。
現教皇は、実に魅力的な人物だ。

ただし、カトリック教会は嘘と偽善、そして作為をもって
「真理」への帰依たる「信仰」を
「宗教」にしてしまった責任を取らなくてはならない。
御名を汚し、呪い、聖書を書き換え
例祭の預言をミトラの教義に書き換えたことは
あまりにも重い罪だ。

プロテスタントも、カトリック教会に反発はしたが
始まりたる「エロヒーム」に帰ることもなく、
ちょっと横道にそれたに過ぎない。
相変わらず、御名も、例祭も汚されたままであるし、
創造主にまで異教の神の名前を着せたままだ

主はまさに、御自分の民の「牧会権」を
ペテロにお譲りになった
パオロにではない。

ペテロは、イスラエルの民を象徴し
パオロは、異邦人を象徴している

いわば、ペテロはその名の通り「岩」であり
パオロは岩の上を覆う、柔らかく扱いやすい「砂」である

主は明らかに「岩の上に家を建てなさい。」
砂を掘って、掘って、さらに掘って…
岩にぶち当たるまで、彫り続けろ…
そうおっしゃった。

ギリシャ語、ラテン語、そして英語
世界に広まるために砂はどんどん岩を覆ってきた
私達の手に聖書が届いた時には、掘るべき砂が山のようになっていた

救い主の教えをヘブル的ルーツから断絶し
宗教というお砂遊びを「真理への帰依」とすり替えたのは
カトリック、プロテスタント、双方の「的外れ」である。
おかげで、羊たちは羊飼いもなく、野生化し
自力で神とつながらなくてはならなくなった。

※ヘブル語で「罪」は「的を外れること」である。

旧約聖書で「蛇」は
「魔術を行う者」「光り輝く者」とを合わせた言葉
「魔術を行う者」はヘブル的思考では
「実際とは違うものに見せかけること」
楽園での「蛇」の仕業を見ればはっきりわかる。

蛇の正体は、聖書にはっきり書かれている
彼は、かつてサムエルとも名付けられ
「美の極み」と称され「曙の王子」と呼ばれた

そして
ありとあらゆる宝石が彼を覆っていた…

私はカバラを研究するのに、まずタロットから研究した。
教皇を表す「Ⅴ」5のカードと、悪魔を表す「XV」15のカードは
御覧の通り、まったく同じ構図をしている。

予め教皇のカードがなにを意味しているかを説明すると
「人の作った伝統や制度」を意味しているのだ。

教皇の「V」と悪魔の「XV」を並べると、
「VXV」になる。
「X」はローマ数字の「十」10にあたり、10はタロットの
「運命の輪」

運命の輪に描かれている、絵をよく見て欲しい
地球が十字の(しかも縦も横も同じ長さ)鍵で保管され
周りに運命の輪があるわけなのだが、
運命の輪には「TORA」と描かれている。
これは、モーゼを通して与えられた神の律法のことである。
「TORA」の文字と交互に描かれている文字は
ヘブル文字で
「イャッウェ」つまり、御父の聖名である。
(御名に栄光がありますように)
内側の輪に描かれている文字の説明と
周りに描かれている四元素の象意と
四大福音書に関する預言についてはまた、こんど

とにかく、運命の輪、とは「律法」のことを指している。
「X」律法をとってしまったら
悪魔と教皇(伝統)は、同じものになるのだ。
そしてXの歪みを正したら、十字架になる。
我々アジアの人間は知っている
…それでもやっぱり「十」は10(律法)なのだ
(聞く耳のある人は聞きなさい)

「X」を取り払い、「V」がいっしょになってしまったら、どうなるか
それは、「W」になるのだ。恐ろしいことだ
なぜ恐ろしいか?
「W」はヘブル文字の「ヴァヴ」「I」にあたる

ヘブル文字は、それぞれ数字を表す。
ヴァヴは「6」だ。
黙示録で、「666」は悪魔の印として書かれている。
「律法」が取り払われた世界(アンロックされた世界)は
この「666」のうちの1つの「6」があらわれる世界だということだ。
つまり、律法を軽視し、取り払ってしまった今の「キリスト教」の世界だ
そのようにカバラは示している。

二つの6が揃った

二つ?
もう一つの6は何かって?

タロットの6番は、創始の時からずっとある。
タロットの「VI」は「恋人」

図柄で明白。それは、アダムと、エヴァ。
つまり、人類そのものだ。

ヨハネによる福音書に描かれている、
「カナンの奇跡」…
メシアが最初になさった「しるし」である。
婚礼のぶどう酒が足りず、
メシアが水をぶどう酒に変えたという奇跡。

その家にはユダヤの伝統通り「きよめの瓶」が6つあったが
空だった。
メシアはこの瓶いっぱいに水を満たすようまずお命じになった。
6つの瓶は「人間」を表しているが、
この瓶はユダヤの習慣を果たすためにおいてあるものだった
ユダヤの習慣は、ならわしであり、
ユダヤのならわしは…神の法律に基づいている。
この6つの瓶は空だったのだ。
メシアは「瓶いっぱいに水で満たしなさい。」
とお命じになった。

私は、息子によってこの啓示をうけた。
八歳の息子はこう言った。
「救い主様は、空っぽの瓶から、ブクブクって
ワインを湧かせることも出来たのに、
まず、水でいっぱいにしなくてはならなかったんだね。
だって、救い主様は『お約束事(律法)を満たしに来た』って
おっしゃったもの。」
(幼子の口を通して讃美を歌わせる主を褒め称えます。)

そう
主は律法を満たしにいらしたのだ。

水は創始の時代から創造主がお与えくださった恵みの1つで
慈愛、感情、愛情、情感を象徴する。
人間の感情への反応として、「涙」が出る事で
その摂理は明らかである。

6は、人間の数字、律法を失った世界
あと1つは…なにか
それは、時間・時期の「6」かもしれない
ユダヤ暦第六の月であるエルルの月なのか
第六曜日の金曜日なのか…
(人間が勝手に不吉な日とした13日の金曜日とか?)

あるいは、これまでのパターンで考えて
カバラに全てしめされているとしたら
「7-1」なのか…

「VII」は「戦車」、文明の利器、そして、衝動


描かれている御者の胸当ては、実は…
この作家個人の意思で改竄されている。
本来、「戦車」のカードに描かれるべき胸当ては
天幕の時代、祭司が着けていたイスラエル十二氏族を表す胸当て。
天幕にいる若き王。御子。大祭司。
御子が御自分のルーツを身にまとっておられるのだ。
「I」はアルケミスト 本来は創造主を意味する。

四大元素の全てを支配されているお方なのだから
そこから派生するあらゆるものは全て、
創造主の恩寵にすぎない。
「7-1」による「6」は、
創造主に至るルーツに立ち返ることなく
盲目に猛進している「システム」を表していると、
私は信じる。

今の世の中を見回すと、
御者のいない「戦車」が走り回っている。

つまり、これら3つ「6」がすでに、この世には揃っている。


万軍の主はシャロミットに臨んで言われる
ーーーー
額にこの3つの「6」が揃っている者達は、裁きを受ける。
聖書はそう語っている。
クリスチャンだから、大丈夫などと思うな
主は間違いなく「お前など知らない」と言うだろう。


主は一言も「クリスチャンを作りなさい。」とは言っていない。
クリスチャンなどという言葉(当たり前ではあるが)は、一度も
使っておられない。
「私の民よ。」と今も燃える思いで呼びかけておられる。
救い主を信じるというのは、「へぇ、そうなんだ」というのとはちがう
信じるとは、愛する事。従うこと。
くびきを負うこと…

毎週日曜日に律法を軽視し
勝手に取り払ったキリスト教会に行くことではない。
日曜日に会衆を集わせるあたり、
すでに律法を踏みにじっている。
結局、救い主の初臨時代のユダヤ人以上に
恐ろしい偽善をクリスチャンはおかしている。
主につながっていればなんでも許される?

おいおい、主に本当につながっている人間は
そのご命令に従わずにはいられないはずだ。
即座に12/25を祝うのを辞めるだろうし
ラッパの祭、仮庵の祭を無視するなど
絶対できないはずだ。


万軍の主は、シャロミットに現れて
言われる
― 聞く耳を持つ人は聞きなさい


魂の顔を伏せても、その印は赤く光り、
裁きの日には、ラッパの音におののいて、
いやでも顔をあげることになるだろう。
アダムとイヴの子孫たちよ、
お前たちの額にある印を変えよ
我が声に顔をあげよ
策略にのってはいけない。


1 件のコメント:

  1. はじめまして、google+コミュニティー「キリスト教」の管理人で、現在は田舎暮らしの老人KENICHI SUGAWARAと申します。MUNAKATAさんはどのような立ち位置のクリスチャンかとHPにおじゃましました。優等生的教会クリスチャンでないところは一致しています。

    若い時に自分の生きる道を探し放浪したときの神秘体験で聖書を読み始めましたが、教会の聖書解釈とは違う読み方をしていました。十数年真理を追究し辿り着いたのがグノーシス、新プラトン主義、カバラなどでした。今後もHPにおじゃまさせていただきます宜しくお願いします。

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