2017年1月26日木曜日

神戸の郊外でおきた、ある「いじめ」事件 6

<いじめ事件INDEX>
1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え

母親たちの反応

一つ訂正します。
この記事で、息子のMと一緒に登校してくださいませんか?と私が尋ねたのに対して、3人全員が「子供に聞いたけど、M君と一緒に行くって言ってます」と返信してきた、と言いましたが、これは誤りですので訂正します。
L君と一番接点の深かったS君の母親だけは、「集合を7:40にするのは賛成」とだけ送ってきました。

L君の母親:
私の息子Mを5人の子供たちが取り囲み、因縁をつけた事件。
その「因縁」の大義名分となったのがL君です。
大義名分に使われただけでなく、臨場、しかも、取り囲んだ5人の一人だったことを私が知ったのは、事件当日のことでした。
私は一晩待ちました。もしかしたら、本当に単純に、利用されただけなのかもしれない、と思ったからです。中心加害者となった3年生男子が、母親経由で、「仲間はずれ」論を信じ、ちょっと自分の影響力を、新しいマンションの一年生にひきらかすための口実に使われたのかも・・・ だとしたら、自分の名前が出て目の前で、友達が暴力をふるわれているのを見たのだから、きっと母親に相談し、母親が「大丈夫だった?」と様子をうかがうメールをしてくるはずだ、と思いました。

しかし、そんな連絡は来ませんでした。

そうなると、3年生の男子にL君が依頼した可能性が、完全には否定できないわけです。
その時点で私は2晩寝ていません。息子を水中に沈めた子供が、3年生の子供と共に息子の前に立ちはだかり、その3年生の子供が息子に暴力をふるったのです。「次は殺されるかもしれない。」とも思いました。
今思うと、半ば病気だったのだと思います。

ひとつだけ確かなことは、だれかの母親、あるいは、すべての母親の配慮の足りなさが何よりもの事件の原因であることです。偏見に満ちた考えを、軽々しく子供の前で口にしたり、伝えたりしたのか、あるいは逆に、与える情報が少なすぎたのか。

私は、強い語調で、L君の母親にメールを送りました。この時点で、すでに、学校の最初の聴取が終わり、三年生男子は「自分のしたこと」を、すべて認めた後でした。

「母親として、このことにどう責任をとるのか?」と。

すると、夜になって、夫婦で学校に確認に行ったというL君の父親からメールが来ました。
「Lがこのことに関与しているという根拠を示してください。このことについてこれ以上、お話しすることはありません。」とのことでした。


三日目、私はついに倒れてしまいました。誘眠剤で強制的に眠り、少し自分のメールを反省しました。そこで、L君の両親に謝りました。「L君はそこにいたのだが、何かしらないか?」という聞き方をするべきだった。もし、L君一家がただ、偶然臨場してしまい、大義名分に使われただけだというなら、それを信じる、と言いました。それでも、L君からは何も、もう言ってきませんでした。


その他の母親の反応

1. これは子供の反応。そもそも、事件当日、4人いっしょにいましたが、うちの息子だけが被害にあい、あとの3人はさっさと遠くへ行き、そこから様子を見ていました。が、そのあと、息子はほかの子たちに「Mのせいで学校行くのが遅くなった。」と言われたそうです。
2. いろいろと不明な点が多いので、明らかにしたいと言った私に「そんなことしてどうなるの?M君はそれで幸せなの?学校でやりにくくならないの?」と言ってきました。
3. まがいなりにも暴力沙汰になったので、報復や、さらなる嫌がらせをおそれ、下校時も、お約束して、できれば一緒に帰ってほしいと、助けを求めました。放課後、ママが不在なので、うちでお預かりしている二人ですので、帰る場所は同じです。でも、一人は「子供に聞いたけど、無理って言ってます。なにせ、せっかちなので。」もう一人は「なんでもママが決めるの?」と「ぴしゃりと言われました~。もっともですよね。」と返ってきました。
4.そういうことなので、警察の聴取が終わるまで、息子の登校を見合わせました。そのことをメールで伝えると、同じ階に住む子の母親が、「いままで、M君をむかえにいってから一階に集合していたのだけど、それ、やめてもいい?」と言ってきました。
5.半年前に、親の承諾を得て差し上げたプレゼントを「もういらないから、返却します。」とメールをよこしてきて、玄関先に放置してきました。息子も放置されたその品物を、見てしまいました。
6.放課後遊ぶ約束をしても、居留守をつかわれ、すっぽかされました。その子の母親も在宅していました。
7.  歯医者で遭遇したのですが、息子は目を合わせて手を振ったのに、あからさまに無視。
8.  Mが独りぼっちで登校するお友達を見つけて、仲間に入れて一緒に行こうとすると、ほかの子たちはさっさと早歩きで歩いていき、息子が学校の開門待ちの時に「まだ学校の門は開いてもいないのに、どうして、そんな早く行くの?僕が何かしたの?僕が謝らないといけないの?」と言うと「そりゃ、Mがいつも悪いことするからやん」「2年生になったら、俺たち3人だけで学校に行くから、Mはもういれてやらへんねん」とのこと。息子は嫌がらせや仲間はずれが終わってほしいと思いながら、昼休みに謝ったのですが、自分が何をそんなに悪いことをしたのか、まったくわかりません。

事件当事者の反応
いまだに誰一人として、母親は謝罪していません。学校で3年生中心加害者男子、4年生の女子で、Mに以前数回、下校途中で手をあげた子、この2人は謝りましたが、二人ともふざけながら謝っていたそうです。母親からはなんにも、言ってきません。
取り囲みに参加した他の一年生は、なんの指導もされていません。

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2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え



2017年1月23日月曜日

神戸の郊外でおきた、ある「いじめ」事件 5

警察の聴取と真相

事件の詳細はこちら

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1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え


警察は私の相談をうけて、すぐに、まず学校と事実確認をしました。そのうえで、刑事事件となる要素を認定したので、3年生男子とその保護者を呼び出し聴取、そして指導しました。

そこで、三年生男子はやはり、こう言いました
24日月曜日、いきなり自分の登校グループにL君が出発のときから、参加していたのでびっくりした。L君になんで、このグループにいるのか、と尋ねたら、L君が「前のグループが一緒に行かなくなった。」というので、「おれが言ってやる」と言い、翌日25日、仲間はずれなどという悪いことをした、一年生に注意してやろうと思った。

そして、息子に暴力を働いたことを認めました。

どうして、特にM君(私の息子)に話をしようと思ったのか、と警察がたずねると
「おい、お前ら!」と大きな声で何度か呼びかけると、M君が振り返って応じた。とのことでした。

警察は、
24日に聞いていたわけだから、25日に現場にいたことについて、あらかじめ計画していた可能性は否定しがたい。たまたま、息子が応じた形にはなったけど、「仲間はずれ」に関する事情もある程度、知っていたことから、息子を「因縁をつける対象」として、ほぼ特定していた可能性も大きいし、O君からも「M君のお母さんが悪い」というようなことを、いろいろ聞いたとも言ってた。と、報告してきました。

もとから、警察には被害申告は出さない旨を伝えていたので、警察は、本来だったら警察に捕まることをしたのだが、被害者のM君のお母さんが、そこまでしなくてよいと言ってくれているから、警察に捕まらないだけなのだ、ときつく指導するにとどめ、聴取を終了しました。


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1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え

True Kindness tends to


本当の優しさを持った人ほど、
孤独に陥る。
本当に誠実な人ほど、
嫌われる。


美しい人の美しさが
醜い人の醜さを際立たせるから。

凡人は賢人を悪者にしたがる。
そうする事で、自分の生息価値を見出そうとする。
自分達が失っているものの実態も知らずに。

あらゆる悲しみに共感できる人というのは
苦言を口にする者だ
イエスがそうだった。
マリアがそうだった。
虐げられる者よ、雄々しくあれ。
虐げられていること自体が、祝福の証なのだから。

True kind ones tend to be isolated.
True sincere ones tend to be hated.

The beauty highlights ugliness.

Simple people want wise ones to be villain, because thus they can believe they are worth existing.
But they have no ideas what they're missing.

The one that can sympathise any sorrows is the one that is not afraid of talk bitter.
Like Jesus and Maria were so.

Be brave, the oppressed, because your being oppressed proves your being blessed.

2017年1月18日水曜日

神戸の郊外でおきた、ある「いじめ」事件 4

3.    疑惑と学校の対応

事件の詳細はこちら


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1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え


私の最初の疑問は
「なぜ、加害者少年と息子は、出くわすことができたのか?」
「なぜ、息子だけが被害にあったのか?」

ということです。

その後、子供たちの話をきくと、現場に
L君もO君もいて
しかも加害中心人物となった三年生男子のすぐ横にO君
そして、四年生女子のすぐ横にL君が位置していたことがわかりました。

学校が「解決」とした時の、
加害者少年(3年生男子)の供述では
「登校しようとしたとき自分と同じマンションに住むO君と、
通り向いのマンションに住むL君が
一緒に学校に行くのをみてびっくりした。
L君のことは知らないが、見覚えがあり、
L君はいつも、向いのマンションのほかの子といっしょに行っているから、
きっと仲間外れにされたのだと思った。
ふと見ると、偶然、L君のマンションの子供たちが、
通りがかったので、一言注意してやろうとおもい、
怒鳴りつけた。」とのこと・・・

私は、これがどうしても、おかしいと思ったのです。
とにかく、学校は、その3年生の子供にだけ話を聞いて、
終わろうとしました。
しかし
もう一人の四年生女子は、リョウに手をあげるのが二回目です。
それでも、私が要求するまで、学校は彼女に話を聞こうともしませんでした。
事件の翌日、学校は三年生男子にだけ話を聞いて終わろうとしたので、
また翌日、私は、四年生女子にも話を聞くべきだと、
学校に聞き取りを依頼したのです。

私は文字通り「親の顔がみたい」とも思いましたし、
なにより、5人が、息子を取り囲み、
その場に一年生のL君もO君も臨場していたのです。
それらの子供たち全員から、
どうしてそこにいたのか、
どういう気持ちでそこにいたのか、
それをちゃんと聞いてやるのが、「教育」だと思ったのです。

しかし、学校はそうはしませんでした。
三年生の男子の家に家庭訪問し、指導した、というだけで
三年生男子の母親も、
四年生女子の母親も、事件から3か月たった現在に至るまで、
一度も謝罪していません。
その場にいた一年生3人、L君、O君ともう一人は、何の指導もなしです。

私の疑問にもどりましょう。
最初の疑問は、登校時間です。

新しい登校グループは、
元の登校グループに比べて、10分も早く出発しています。
三年生男子が、言葉通り、
「いつも」L君が息子たちと登校しているのを見ているとしたら、
普段の登校時間は、10分以上遅かったはずです。
そしてなにより、本当にそうなら、
L君とO君がいつも一緒にいるところをこそ、
見るでしょうから「変に」など思わないのではないでしょうか?

どうして、新登校グループが始まった2日目であり、
事件が起こった10月25日火曜日に限って、
三年生男子は10分、登校時間を早めたのでしょうか ?

私は教員に、登校グループについて、尋ねるよう依頼しました。
三年生男子はいつも一人で学校にいくのでしょうか?、と

もしそうなら、時間がランダムになるのはわかります。

しかし、結果はこうでした。
中心加害者となった三年生男子、
そして息子に手を挙げるのが二回目の四年生女子とその妹、
O君は、いつも4人で一緒に学校へ行く、登校グループでした。

このO君の登校グループにL君が、
10月24日(事件前日の月曜日)から入ったのです。
以前から
O君とL君は毎日のように途中で合流し、
そこから一緒に登校していたということは、
このO君の登校グループは、
集合時間あるいは出発時間が10分以上後のはずです。
新登校グループ初日である、24日には、
息子たちはO君にもL君にもあっていません。
もし、自分のグループにL君がいきなり入ってきたことに、
三年生男子が驚いたとしたら、
それは、10月24日月曜日の出来事であるはずです。

これを鑑みて、「計画性」(まちぶせ)を疑わない教師がいたということに、
私は驚きました。もし、計画したとしたら、
指導の仕方がまったく違ってきます。
ベクトルが変わってくるのです。

計画できるということは、
自分の感じた「理不尽さ」「疑問」について
大人と相談する余地もあったのです。

L君は、前日から、この三年生男子がなんらかの形で、息
子あるいは、他の子供達に働きかけることを知っていた、
ということになります。
そもそも、1万歩譲って、
私が、L君を「仲間外れにした」として、
L君とも、ウチの息子ともほとんど面識のないはずの三年生男子が、
どうやって、「仲間外れ」張本人である私の息子を特定できたのでしょう?
私たちの登校グループでは、通行マナーとして
2人ずつペアになって歩くように指導していました。
四人なので、前後2人ずつのペアになって歩きます。
息子は後ろ二人の一人として歩いていました。
息子の前を歩いていたのは、
加害者中心人物である3年生男子と面識がある一年生二人です。
学童保育で一緒なんです。
息子と、同じグループの子供達に聞くと、
加害者グループはL君、O君を伴って、
行く先ですでに、立って待っていた。との事…
前方から見ていたなら、真っ先に見えたのは、
知り合いの一年生二人です。
息子ではありません。
話しかけて事情を聞くなら、
知り合い二人の方が聞きやすかったのではないでしょうか?

私は、これらの疑問を学校に投げかけましたが、
学校は「でも、学校では偶然だと言っておりますので・・・」の一点張りです。
先ほども述べましたが、
前日から計画していたなら、
L君も加害者3年生男子も、
疑問に思った事、理不尽に思った事を
自分の親に相談できたはずです。
でも、そうせず、自分たちで「制裁」しようとした・・・。

これこそが、一番の問題点なのです。
親との信頼関係、コミュニケーションが希薄になっていることが、
世間で起きている痛ましい事件の大きな原因の一つなのですから。

でも、当事者たちの親も、学校も、まったくそこに目を向けようとしません。
偶然、思い立ち、偶然相手が通りかかったから、事に及んだ。・・・
このような結論で、この事件を解決するには、
あまりにも早すぎると思うのです。

息子は元気に帰ってきました。
そして、もう息子が暴力を受けることはないでしょう。
しかし、このように、何もないうちに
子供たちの中にある暴力の種を、完全に「品種改良」し
善意の花を咲かせるように導くのが、教育です。
でも、それには、種の問題性を、しっかりと直視することが大切です。

事件が起こり、当日に通報を受けたわけですから、
翌日には、学校にいる6時間の間に、関係者全員をあつめ
事実関係の一次的確認をするべきでしたが、学校は
30分ほど、三年生男子から話を聞いて、
肝心の「翌日調査」を終えてしまいました。
そこからは、逐一私が、~に話を聞いてくれ、と「依頼」しなくては
まったく動きませんでした。

私は事件から三日目の金曜日、息子に手紙を託し、
学校へ「警察に通報し、相談するつもりです」と報告しました。

事件から3日もたって、警察の文字が出てきたからでしょう。
学校はやっと、息子の登校グループの子供たちも含めて
全員を一堂に集め、事情を聴きました。

が、私には、その日も今(2017年2月14日)にいたってもも、
この最後の聴取でなにがわかり、どういう状態だったのかなどの結果報告はおろか
この、聞き取りが行われたこと自体も、
私は子供たちから報告され、知ることができたので、
学校からの報告は一切ありませんでした。
私は金曜日夕方、息子を連れて、警察に行きました。

もちろん、被害申告はしない前提がありました。
ただ、計画性があったとしたら、事が、すでに傷害事件(刑法第一条第八項)、
そして、学校へ行こうとする一年生の子供を、威圧して引き留めている時点で、
道路交通法にも違反しています。
学校がきちんとその辺の社会ルールを教えられないなら、
別の社会的権威が、指導するしかありません。
おばはんたちの、だらだらした説教では、だめなんです。

私は、警察に依頼した理由は、
社会的権威によって子供たちに社会のルールを指導し、
息子への暴力がエスカレートすることを阻止することに、
協力してほしかったからです。

私の印象では、あまりにも、行為に至るまでのプロセスがスムーズすぎます。
もしかしたら、水面下で、この子たちのこういう「誤った正義感」の犠牲になった
子供がほかにいるかもしれません。
警察がでることで、
少なくとも、うちの息子にこれ以上手をだしたら、やばいことになる!
という印象を与えたかったのです。
私が本気で怒っていることを、
そして、私がルールを心得ている大人であり、
息子を命がけで守る覚悟があることを、
その子をはじめ、息子を取り囲んだ5人と、
彼らの親に伝えたかったのです。謝ろうともしないのですから、
話し合う事もできません。
「子を持つ親の怒り」を、受け止める義務が彼らにはあります。

そして、同時に、本来ならば、
加害者たちが、出席停止になって、
きちんと指導を受けるべきなのに、音楽会前だったからか、
学校は全くそういうことをしません。
指導をめんどくさがっているような気配すらしました。
担任は、ため息をつきながら
「その登校グループってなんですか?なんの『幹事』なんですか?」と、
さも、
「あんたが勝手にしゃしゃり出て、勝手にグループつくって、
勝手にリーダーやってたんだから、関係ない!」
とでも言いたげな語調でした。

私は抗議の意味を込めて、事件発生翌週の月曜日(2016年10月31日)から、
息子を学校に行かせないことにしました。
その旨を連絡帳にかいて、月曜日学校へ届けました。
L君の仕返しも考えられましたし。

すると、学校は、月曜日
授業の進み具合を知らせるために、連絡してきました。
私が警察に相談することについても、
この事件のことについても、なにも触れずに、電話を切りました。

警察は動きました。
言うまでもなく、警察は民事不介入の原則があります。
今回警察は動かなくてはならない、と判断したにすぎません。
この一年半のL君が息子にした嫌がらせを鑑み、
ここできちんと社会的な指導を入れるべきだという、
私の判断に賛同したからです。
たとえそれが間接的であったとしても、
私が期待している効果は発揮され、
それが、防犯につながると判断したのです。
「加害者を作らない」というのが、防犯なんです。

翌日の火曜日、私の母が、息子を歯医者に連れていくついでに、
学校へ、家庭での学習に必要なものを取りに寄りました。
あらかじめ、連絡帳で、その物品を取りに行くことを伝え、
教室ではなく職員室にそれを預けてくれるように頼んでありました。
すると、私ではなく、私の母が相手なのを知りながら、
いきなり、校長と教頭が母に「ちょっとお話させていただいてよいでしょうか?」
と話し合いを要求し、そのあとの予定があるのにも関わらず、
無関係の母に向かって話を始めたのです。

このような大切な話し合いなのですから、
きちんと私自身とアポを取って話をするべきです。
それを、待ち伏せするような真似をしたうえに、
「警察に言う必要があったのか」だの
「取り囲んだわけではない」だのと発言しました。そして、こうも言いました。
「警察沙汰にしたら、M君が今後学校でやりにくくなりますよ。」

これには、私は怒り狂うしかありませんでした。
「冠省」から始まる手紙を校長、教頭に書きました。
断固抗議です。
「貴方達は、完全に素人です!」と

そんなに、私が警察に相談することが、
子供たちに「害」をなすことと判断したなら、
どうして必死で私と連絡をとり、話さなかったのでしょう?
月曜日、担任が連絡してきたときは、完全に無視でした。
なにより、家庭訪問をするべきは、
被害者である、私たちだったはずです。
警察から連絡がきたときも、
「もう少し、棟方さんと話をさせてください。」と言えば、
警察だって待ったはずです。
なによりも!
息子が学校でやりにくくなる、って、
それは何ですか?脅迫ですか?
まず、事件から3日もたってやっと、
関係者全員臨場の状況検証を行ったのは良いのですが、
まったくもって、その内容を被害者である私には報告していません。
だから、「取り囲んだわけではない」とお婆ちゃんに愚痴られても、
私に言わせれば
「そーなのー?」としか言いようがありません。
そもそも、事件が起きた歩道は…道幅1.8mほど、
子供が三人並んだらもう、真っ向からすれ違うことは出来ません。
それを、五人もの子供が、息子の方を向いて、立ち、
「おら〜」からはじまり、「死ぬ」という言葉を使って因縁をつけたのです。
校長は、キレイな円形ではなかったから、と言いたいのでしょうが、
これはまさに詭弁です。

そもそも、音楽会を控えた時期に、
学年を超えた問題が発生したのにもかかわらず、
校長、教頭が出てくるのが遅すぎると思います。
神戸市以外でお住まいの読者の方には、お分かりいただけないでしょうが、
神戸市では、2学期に「気違いぢみた」とも言えるほど
手の込んだ「音楽会」をします。
ただでさえ、「ブラック企業のような」日本の教育現場。
劣悪な就労条件に耐える教諭たちですが、神
戸市の教諭は、ダンスやら英語やら、
専門外の指導を押し付けられたのに加え、
この「きちがいぢみた音楽会」の指導や
練習を指揮しなくてはいけないのです。
音楽専門教諭だけでなく、担任教諭が、準備に奔走します。
ですから、あまりにも「おかしい!」と騒ぎ立てる私が
うっとおしいと感じたのも、わかります。
それならば、教頭がサポートに入るべきです。
でも、教頭は、事件から一週間たってから、介入しました。
ひとえに私が、警察に通報したからです。

法の番人である警察の指導が、
子供たちの害になると思うなら、学校が必死で子供を守るべきなんでは?
当家は見事に金曜日を含めて4日間、
いえ、もう11月1日以降、
いま、この記事を書き直している2017年2月14日現在
なんの報告もなく、放置されています。


警察での聴取とその結果わかったことについて、短い記事を次回書きます。


<いじめ事件INDEX>
1. 事件

2. L君との一年半…

3. 登校グループ

4. 疑惑と学校の対応

5. 警察での聴取と真相

6. 母親たちの反応

7. 私の考え

2017年1月13日金曜日

動物は本当に関係ない 十二支物語

子丑寅辰・・・・

この漢字を不思議に思ったことはありませんか?
繰り返しますが
十二支と動物は、あきれるほど無関係です。

十二支は、陰陽が変化する様子を表しています。
それは、卵子が胎児に変化する様子に似ています。

少し脱線させてください。
「土用のうなぎ」というのが、平賀源内のコピーライトで
彼が知り合いのウナギやのために考えた、プロモーション戦略であることは
あまりにも有名な話です。

この「土用」という言葉を「土曜」と勘違いしていた方もいらっしゃると思います。
でも土曜日ではありません。
私の前のブログで、陰陽五行についてご説明しました。
「土用」というのは、この陰陽五行の「土」の状態のことを言います。
十二支もこの陰陽五行に分かれるのです。
例えば、子は水です、子の前に来る、亥も水です。
五行の順当でいくと、子の次にくる、丑は、木のはずなのですが、
丑は、土です。丑の次に来る寅が、木です。
つまり、木が火に変化する、真ん中にある、土を通過していくのです。
なので土というのは、「過渡期」「あいまいさ」を表し、
体調を崩しやすいというのが、東洋医学の考え方です。

平賀源内が行ったプロモ戦略とは
丑の日は、土の日なので、体調を崩しやすいから、
ウナギを食べて、せいをつけよう!
というコンセプトですので、
森永の「ヴァレンタインにはチョコレート」というのプロモに比べると
多少、医学的な根拠があるのです。

さて、本線にもどりましょう。
そうやって、陰から、陽へと事象が変化していく様子を表している十二支ですが、
そこに採用されている漢字は、エネルギー・コアが、「成長」し「老衰」する様子を表しているのです。
しかし・・・
その漢字一つ一つが、実は、なにか欠けている状態なのです。
例えば、「寅」という字は本当は「演」という字ですし、「辰」という字が「震」という字です。

さぁ、いよいよ、私の年画に描かれている字がなにを表しているかをご説明します。
これは、新暦で言う「去年」のものです。
申年ですね。
正式な干支は「ひのえさる」「丙申」です。
ひのえは、火の陽性
申の本当の漢字は、「伸」という字です。

では、新年の「丁酉」を表した、私の年画をご覧ください。

まずは、酉年という字の本来の姿は「酒」という字です。
これは、陰のパワーが「成熟」している様子を表しています。
酒という字の「へん」は「さんずいへん」とは
本来「水」という字ですが、水という字は、昔、こう書いていました。
これを、私は舞い踊る乙女に表現しています。
私は元舞踊家でもあるので・・・(笑)
「つくり」は「たる」お酒の入ったツボを表している文字です。

赤い「丁」の文字は
ひのと、火の陰性を表しています。
丁とは炎や「ともしび」を表していますが、真南も象徴しています。
五行も方位を象徴しているのです。
火は南を表しています。
この丁の字は、アルファベットの「T」の文字も兼ねています。
下にあるのは、ラテン語「OSTRO」です。
ラテン語の「OSTRO」は南風という意味です。
サンピエトロの、噴水(ダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」でも有名)にも
南風の神「OSTRO」が描かれています。

ともしびの ゆれにこたへて まふとりや
丁(しもべ)はうたわむ 酒(しゅ)にぞこたへて

これが年歌です。
「ともしび」という言葉は、「ひのと」そのもののことを言っています。
上の句に漢字を使わなかったのは、「トリ」という言葉に「魔力」がないことを表しています。
さて、「丁」という字は、「しもべ」という読み方もあるのです。
酒は「しゅ」とも読みます。

私はクリスチャンでもあり、神に「主」(しゅ)と呼びかけます。

皆さま・・・良いお歳をお迎えください。


第一話 動物は関係ない 十二支物語
第二話 よみがなの神秘
第三話 動物は本当に関係ない 十二支物語

2017年1月4日水曜日

Welcome Back, Pasquale!

The Church requested me to make some illustration for their service.
I decided to summon Pasquale the Bunny, again.

Why don't you make a little visit to "The Four Leaves Tavern" and have a little cup of tea with Pasquale?  Or... he could be too busy?!
Free Copy for Kindleunlimited members.

Japanese : 四葉亭のいちにち
English:"At the Four Leaves Tavern

よみがなの神秘

十干十二支についてお話しましょう。


日本では、十二支を動物になぞったものだけが、年を表す象徴として珍重されています。


しかし、これは、識字能力が低かった当時の市井の人々のために、「適当」にこじつけられたもの。つまり、「頭が悪い人」だから、身の周りの動物たちなら、わかりやすいだろう…という意図があります。


義務教育が与えられている現代に生きる我々が「イヌ」だの「ネズミ」だの言っているのは、ちょっと恥ずかしいですね。


十二支が方位や時間を区切るのに使われた事は、ご存知の方も多いでしょう。

例えば、「子の方位」というと真北です。十二支の順番を時計周りに配置し「子」を真北に据えると360°を十二分割したエリアが、十二支それぞれの「支」の担当方位。
時間も一時間ごと、分も十二支で表します。
一年が十二支で表される事は、ご存知の通りです。実は月日も十二支で表されます。
例えば これを執筆している2016年12月20日は、
申(さる)年 子(ね)月 子日です。

さて、十二支の話をもっと深くする前に、十干の話をしましょう。
この図をご覧下さい。


相生、相剋の関係についてはいずれまた

この図は、世の中の森羅万象の由来が
木、火、土、金、水
・・これら五つの要素に分類される事を示しています。

この五つの事を「五行」といいます。

この五行はそれぞれ、陽と陰にわかれ、それらを十干(じゅっかん)とよびます。
この「干」という字を覚えておいてください。

一例を先に取り上げますが
木の陽性を、甲と書きます。
木の陽性は、木の「兄(え)」とよび
この字「甲」は「こう」とも読みますが
き・の・え  「きのえ」と読みます。

木の陰性は木の「弟(と)」とよび
きのと と言います。
漢字は「乙」です。



陰陽
干(読みがな)
甲(きのえ)
乙(きのと)
丙(ひのえ)
丁(ひのと)
戊(つちのえ)
己(つちのと)
庚(かのえ)
辛(かのと)
壬(みずのえ)
癸(みずのと)

みなさんがお持ちの端末で、(  )に書いてあるひらがなを入力してみて下さい。左の文字が出てきます。

昔の通信簿の評価に使われていた「甲乙丙丁」はコレの事です。

「甲乙付けがたい」というのは、これが、通信簿の評価値として使われたことに由来しています。 ただ、本来、甲が乙に「勝る」という概念はありません。


陰陽とは
互いがなければ、互いに存在せず
互いが在って、ようやく互いが在る
そんな存在なんです。

日本で「四柱推命」と呼ばれる推命のことは、ご存知ですか?
これは個人が生まれた年月日、そして「時」の四つの柱をもとに鑑定するものです。台湾では、四柱推命とは言いません。「八字推命」(パーツ)と言います。
これは四つの時間の柱を「二文字」で表すからです。

二文字のうち一文字は、先程言った「十二支」である事はおわかりだと思います。あともう一文字は、「十干」です。四柱はそれぞれ、「干」と「支」、つまり「干支」で表すのです。
干の読み方をみてお気付きになった方も、おられると思います。
陽性=兄=え
陰性=弟=と

「えと」とあります。

これが、干支「えと」の正体です。

私は「今年の干支は?」とたずねられて、十二支だけで答えることは絶対ありません。2016年の干支は「丙申(ひのえさる)」。来年2017年1月28日に訪れる新年は「丁酉(ひのととり)年」です。

では、みなさんが生まれた年の干支を考えて下さい。
私は丙辰(ひのえたつ)です。
再び、この丙と辰のコンビネーションが訪れるのは60年目(偶数同士が循環する乗数なので‥たとえば、甲子は、陽性である、甲とコンビになってますが、どんなに循環しても陽性の干とコンビを組むからです。)・・・
これが、還暦なんです。一循環した、ということです。「赤ちゃん」と同じだから、ということで、「赤いちゃんちゃんこ」なんです。

でも、ご存知ですか?
ヒトは、母親から貰った細胞をもとに細胞分裂を繰り返し、古い細胞を消滅させながら「成長」します。母親からもらった細胞がすべて無くなるのは、ちょうど、60歳ごろなんですよ。これは医学的事実です。


さぁ、謎解きはまだまだです。
ヒントは「漢字」です。

第一話 動物は関係ない 十二支物語
第三話 動物は本当に関係ない 十二支物語

Ryo Discovers the World 最終回 五妃街と神農街

Rei and Ryo's Taiwan review, the last chapter. 一ヶ月に渡ってお送りした、台湾シリーズの最終回です。