2017年6月6日火曜日

二歩下がって、吠える!その2

私が訴えたいのは

「登下校ルール」の成文です。

2016年10月25日からずっと、言い続けてきました。
親の目も、教員の目もなく
子供たちが「丸腰の個人」として社会とかかわらなくてはいけない

それが通学路という空間です。

外敵に襲われることもありました。
(それぞれの犠牲者の方々のご冥福を毎日祈っています)
それでも、子供たちが自分たちで登下校できる・・・
そんな日本社会でありたいのです。

でも今のままでは、外敵だけではなく、お互いに殺しあっています。

架空の権利を過信する子供たち

うちの子のケースもそうですが、
倫太郎君ががいきなり、自分の登校グループに入ってきたのをみて
「前のグループから仲間外れにされた。」
そう感じた3年生の男子が
「俺が言うたる」
つまり、稟議に及ぶわけですが、
警察もそういうように、彼は、
彼なりの正義感があってそうしているのです。
そして、自分はだれかを「制裁する」権利があると考えています。

子供は間違えます。
それが子供の本分であり、知恵の元であり
希望です。

しかし、そこに被害者が発生し
その被害者も、その希望の結果を笑って受け入れられないなら
・・・つまり
赦せないなら

それはもはや、犯罪であり、希望とは真逆の性格を発生させます。

たしかに、子供の権利を尊重することは大切です。
しかし、なんだか、最近の親は、この「子供権利の尊厳」と
「させたい放題」「礼儀作法を教えない」ことを混同しています。
クレヨンしんちゃんの影響も否めません。

ほとんどの親が、礼儀を教えることを躊躇します。
自分も大したことないから・・・というのです。
嘆かわしいことです。
見本になれてないことが多いのは、私も何度も見ました。
子供がいるから、子供に教えないといけないから
手本にならないから・・・
親として礼儀を学ぶ・・・
こういう思考回路は親におきないんですね。
子供の荒々しさ、無作法をにこやかに見逃すことが
寛大で、権利を尊重している親だと、勘違いしているのです。

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