2017年4月14日金曜日

PASSION WEEK


レント

想いは二千年の時を経て
なおも赤く燃え続ける
迷子になった幼子を想う
母の想い

あれほどの苦痛
あれほどの屈辱
それは不動の事実

なにが罪なのか・・・
などと問う人の中に
私も在った

例えばある幼子がいて
その子が勝手に居場所を離れ
迷子になれば
血眼になって母は探すだろう。
何時間も探した末に
その子を見つけたら
その母親は、どうするだろうか

頬を打って
いさめない母親がいるなら
それこそ、母親じゃない。
いさめるのはその子の
「勝手」
憎むべきなのは、「勝手」という
サタンによる
思いそのもの
「餓鬼」そのものを打つのだ。

では、頬を打たれた子供はどうするだろう。
母の悲しみに対して
「ごめんなさい」と言わないだろうか?
親ならば、ここで「ごめんなさい」と言わない子の生末を
思い煩わない者はいないはず。
それは、滅びに向かう印だからだ。

キリストは
何の罪も犯していない
むしろ、貧しい人に施し
病を癒し
虐げられた人のそばにいて
愛を語った
ひたすら
愛を語ったのだ。

そして
そのために、十字架に処せられた。
鞭うたれ肉と骨を切り刻まれ
さげすまれ
唾を吐かれ
生母の目前で
手足にくぎを打ち込まれ
死んだ


これは
不動の事実

これを「偽り」だというのは
単に究極に愚かなのなだけだから
人間なみの知性を持てるようになってから
考えればいい
それが死ぬ前に起きることを願えばいい。

しかし
本当の罪は
イエスの死が歴史的事実だと知りながら
どうして?と問わないことだ

人として生まれ
人としての他の動物を超える知性を与えられながら
問うことすらしないこと
それが、本当の罪なのだ

私は苦しみの中に
自分の中にいるイエスと遭遇した
私の頬が打たれたのだ
そう気づいたとき
私は大声で問うた
貴方はどうして、十字架にかかったのですか?
充分逃げられたし
嘘だってつけばいい
なぜ
敢えて十字架の死に向かわれたのですか?

そう問うた時
神は、即座に答えられた
「この瞬間のために・・・」

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