どうせ連鎖させるなら、善意を連鎖させたいですよね。
海外生活を経験している人間が
日本で子育てをしていると、本当に、激しいジレンマに襲われる事があります。
信仰心が軽蔑される 日本社会
利己主義と自由が混同される 日本社会
あああ、無理だ…光が見えない。
例えば…これは実際にあった話です。
夏休み中のある日
一年生の息子は、プール開放日に行ったのですが
同学年のお友達に「通学路」を外れて行くように、強要されたのです。
息子は、断固として拒否しました。
通学路、というのは、色んな「負の経験」を経て
様々な考えを反映して、専門家が制定したものです。
不幸にも…、あまりにも不幸にも…、
様々な暴力の犠牲となった命による…
それは「遺品」なのです。
息子は、そう教え込まれているので、断固として通学路を行きました。
この後、息子は、とんでもない仕返しを受けるのですが、
今日はその話は、置いておきましょう。
とにかく、その相手の子の心に
「通学路を外れるのは、別にいいんだよ。」と
正当性を、植え付けたのは
この少年の母親の、考えの足りなさ、だったのです。
別の夏休みの、ある登校日。
その子は時間に遅れ、遅刻しそうになりました。
母親は少年に言いました。「近道を行きなさい。」
近道とは、通学路ではありません。
この時点で、この母親は、道理よりも、エゴを優先させてしまったのです。
子供の、安全を守るために出来た通学路。
最優先されるべき課題なのでは、ないでしょうか?
子供の遅刻、というのは、遠足の集合でもない限り
その子が遅刻して、誰かに迷惑がかかる、ということはありません。
この場合、これもプール開放日
遅刻をしたら、この子自身が
プールで遊ばせてもらえないかもしれない
それだけなのです。
その子が怒れて、終わりです。
あるいは、がっかりして、終わりです。
何を怒られるのかと言うと…段取りの悪さ、あるいは、
義務よりも、個人的欲求を優先させた事、を怒られるのです。
あるいは、一人だけ遅れて入って、皆に注目され
「恥ずかしい思いをする」だけです。
いずれにせよ
遅刻をしてしまうような、要因を作らないことの重要さを学ぶ
まさに、チャンスです。
遅刻なんか、すれば良いんです。
恥をかけばいいんです。
がっかりすればいいんです。
ここで、この恥を恐れて、通学路のルールを破ってしまったら
公共のルールを、個人の勝手な都合で破るってことに他なりません。
より安全と判断されたから、その道が「通学路」に選ばれたのです。
ちょっとした恥を恐れたがゆえの、そのスキに
どんな悪鬼が忍び寄るか、わからなかったのです。
その母親は、子供の安全よりも
子供が恥ずかしい思いをしないこと、を優先させたのです。
学校からは、事前に
夏休み中とはいえ、登校日、プール開放日など
何らかの事情で生徒だけが、登校しなくてはいけない場合、
必ず通学路を通ること
通常の校則を守る事
通達がありました。
これは、学校はどんな事があっても
子供を守りたい
と、考えているという事です。
この母親は、そういう「善意」を循環させることにも
失敗したに過ぎません。
「なんも考えてなかったわー。」
この台詞があまりにも軽々しく
免罪符にでもなったかのように振りかざされている
いまの子育てコミュニティを、稀有しているのは
私だけでしょうか。
いや、コミュニティなんて意識
日本のママのほとんどが、持ってないのでしょう
ましてや、そのコミュニティに自分も責任を負っているなんて
思ってもいないのです
「なんも考えてない」も立派な暴力です。
モラハラです。
こういうママが育てた子供が大きくなって…
自分の子供と一緒に生きて行くのです。
自分の子供だけ、良い人間に育てても、しょうがないんです。
海外生活を経験している人間が
日本で子育てをしていると、本当に、激しいジレンマに襲われる事があります。
信仰心が軽蔑される 日本社会
利己主義と自由が混同される 日本社会
あああ、無理だ…光が見えない。
例えば…これは実際にあった話です。
夏休み中のある日
一年生の息子は、プール開放日に行ったのですが
同学年のお友達に「通学路」を外れて行くように、強要されたのです。
息子は、断固として拒否しました。
通学路、というのは、色んな「負の経験」を経て
様々な考えを反映して、専門家が制定したものです。
不幸にも…、あまりにも不幸にも…、
様々な暴力の犠牲となった命による…
それは「遺品」なのです。
息子は、そう教え込まれているので、断固として通学路を行きました。
この後、息子は、とんでもない仕返しを受けるのですが、
今日はその話は、置いておきましょう。
とにかく、その相手の子の心に
「通学路を外れるのは、別にいいんだよ。」と
正当性を、植え付けたのは
この少年の母親の、考えの足りなさ、だったのです。
別の夏休みの、ある登校日。
その子は時間に遅れ、遅刻しそうになりました。
母親は少年に言いました。「近道を行きなさい。」
近道とは、通学路ではありません。
この時点で、この母親は、道理よりも、エゴを優先させてしまったのです。
子供の、安全を守るために出来た通学路。
最優先されるべき課題なのでは、ないでしょうか?
子供の遅刻、というのは、遠足の集合でもない限り
その子が遅刻して、誰かに迷惑がかかる、ということはありません。
この場合、これもプール開放日
遅刻をしたら、この子自身が
プールで遊ばせてもらえないかもしれない
それだけなのです。
その子が怒れて、終わりです。
あるいは、がっかりして、終わりです。
何を怒られるのかと言うと…段取りの悪さ、あるいは、
義務よりも、個人的欲求を優先させた事、を怒られるのです。
あるいは、一人だけ遅れて入って、皆に注目され
「恥ずかしい思いをする」だけです。
いずれにせよ
遅刻をしてしまうような、要因を作らないことの重要さを学ぶ
まさに、チャンスです。
遅刻なんか、すれば良いんです。
恥をかけばいいんです。
がっかりすればいいんです。
ここで、この恥を恐れて、通学路のルールを破ってしまったら
公共のルールを、個人の勝手な都合で破るってことに他なりません。
より安全と判断されたから、その道が「通学路」に選ばれたのです。
ちょっとした恥を恐れたがゆえの、そのスキに
どんな悪鬼が忍び寄るか、わからなかったのです。
その母親は、子供の安全よりも
子供が恥ずかしい思いをしないこと、を優先させたのです。
学校からは、事前に
夏休み中とはいえ、登校日、プール開放日など
何らかの事情で生徒だけが、登校しなくてはいけない場合、
必ず通学路を通ること
通常の校則を守る事
通達がありました。
これは、学校はどんな事があっても
子供を守りたい
と、考えているという事です。
この母親は、そういう「善意」を循環させることにも
失敗したに過ぎません。
「なんも考えてなかったわー。」
この台詞があまりにも軽々しく
免罪符にでもなったかのように振りかざされている
いまの子育てコミュニティを、稀有しているのは
私だけでしょうか。
いや、コミュニティなんて意識
日本のママのほとんどが、持ってないのでしょう
ましてや、そのコミュニティに自分も責任を負っているなんて
思ってもいないのです
「なんも考えてない」も立派な暴力です。
モラハラです。
こういうママが育てた子供が大きくなって…
自分の子供と一緒に生きて行くのです。
自分の子供だけ、良い人間に育てても、しょうがないんです。
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