子「だいじょぉぶ、だいじょぉぶ」
母「そんなことしたら、お友達が傷つくでしょう?」
子「なんで?どこが?なにが?」
ある、ある、ある!
いくらかわいい我が子でも
むっかぁぁ!とキます。
棟方玲宇の戯曲「四葉亭の一日」より
ヨソの子だったら、容赦なくその場で
シャッターが下りるかもですね(笑)
子供の自尊心が発達した証拠なんですが
自尊心と自信の発達を喜んでばかりもいられません。
子供の情緒の発達には必ず
倫理という「枠」が必要です。
子供の情緒が発達する様は
真っ白なキャンバスに
様々な絵が加わる様に似ています
本当にいろんな色が
こっちにぺちゃり
あっちにぺちゃり
棟方玲宇の戯曲「四葉亭の一日」より
床にもぺちゃり
そうなると、「情緒の発達」という「お絵かき」は
ただの迷惑な落書きです。
キャンバスだけの絵もシャレオツなものです。
けど・・・
そこに「額」フレームがつくと、なんだか
その絵の存在そのものに「意味」・・・いいえ「意義」が出てきて
格があがりますね。
この「額」が「倫理」なんです。
倫理とはいろんなことにたとえられます
私の別の著書では
「倫理はパンツだ!」と言っています。
でもつまるところ、
「生産的な”リミット"」のことなんだと思うのです。
抑圧的なリミットではなくてね。
さて、白いキャンバスに色をぺちゃぺちゃすることに
慣れて来ると、
勢いづいて、テーブルにぺちゃり・・・
迷惑な落書きが始まります。
「はしっちゃだめ!」という母親の言葉の裏には
危ないところがたくさんある
人にご迷惑をおかけするかもしれない
いろいろな、想いが隠れています。
それに対して
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」という子供の言葉の裏には
もう大きいんだからヘイキ!という
根拠のない万能感があります。
・・・子供の知識はまだ少なく
ノリシロいっぱいなのに、子供にはそれがわからないのです。
この「だーじょーぶ」の正体は
思いっきり走りたいという「意」つまり意思と、
「気」つまり、気持
(欲求)(つもり)
この
意気をくじかれることを、うとましく思って出る
「生意気」です。
「走りたい」という気持ちが
「走ろう」という意図に発展すると
そこに登場してもらいたいのは「考」です。
ここは走るべきところだろうか?
走ったらどうなるだろうか?
こうやって、意気は「考」によって「調理」(理性を調整する)されます。
「考」は経験や教示によって得られる「徳」です。
私は「考」とは、一種の「くせ」だと思います。
「考」によって調理されるべきときに
調理されずにそのまま、発信される意気が
「生意気」です。
自分の知識の少なさを知らずに、
年長者からの「いさめ」を疎ましく思い
自分の力を正当化することは
自分の弱さと至らなさに背を向ける
「不徳」です。
説教をして、教えてやろうという大人に
無用な質問をして、つたない理屈を振りかざすのは
そうすることで、相手を惑わし
説教のコシを折る子供の「反抗」です。
これも、説教の原因を作った行為の意気を
正当化しようとする
「生意気」の表れです。
さぁ、では、
この生意気病、どのようにするのが良いのでしょう?
放っておくわけにはいきませんよね。
でも、たいてい、私たち母親はそんなとき
イライラしてしまって
なんだか、ちゃんと言えなくなってしまうのです。
負けてはいられません。
そこであらかじめ普段から
子供に伝えておきたいことがあります。
「無知の知」
われ、知らぬを知る
・・・自分がすべてを知っているわけではない、
ということを知ること
子供の間は
知らない状態そのものは、
愛をもって許されるという事実
他人の経験にのっかるほうが得だという
事実
これらの情報とともに
恐れる対象を与えるべきです
お父さんでもお母さんでもいいです
なんだったら鬼でも神でもいいです
しっかり「こわい!」と子供が思える存在を
作っておくことです
この恐れこそが
倫理のはじまりなのです。
屁理屈には完璧な理屈を用意しておきましょう。
「だーじょーぶ」妖怪に取りつかれた子供には
しっかり正面から目を見据えて
「何が大丈夫なのか言ってみなさい。
あそこの家に赤ちゃんがいないってなんでわかるんだ
むこうの角から車が急に走ってこないってなんでわかるんだ
大丈夫だと思う理由をお母さんにもわかるように
言ってみなさい。」
そして、自分の子供より小さい子を引き合いにだして
「君とあの小さな子では、どちらのほうがものしり?
君だろ?それは君が〇歳で、あの子よりたくさんのお誕生日をしてるから。
お誕生日の回数だけ、いろんなことを見て聞いて知ってるよね。」
「お母さんは、〇〇回、君よりもう~んとたくさんお誕生日をしてる。
走ってて、車にひかれて大けがをした子のお話しもなんども聞いてる。
だから、君に教えてあげてるの。
お父さん、お母さんと会えなくなってもいいの?」
・・・と年長者の経験を尊重すること、
母親を信頼すること
そして、
行為の結果起こりうるリスクを鮮明に伝えることです。
こういう機会を逃さない
そんな覚悟ある母親で、わたしはありたいと思っています。
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