2016年4月21日木曜日

ふんばれ 熊本!

私達は主権者だ。
責務を果たさなくては、ならない。

避難所が熊本内だけなのは
悪循環
被災者の皆さんを移動させて、
周辺県で受け入れてほしい
芸能人や自衛隊が現地に入れるならば
被災者を県外に移動させるのも可能
(土地にこだわる日本人の気風は、誠意で説得するしかない!)

熊本県庁は被災している
周辺県で救済・復興の指揮を摂ってほしい
救援物資の受け入れも周辺県で。

ふんばれ くまもと
くまもん頑張れ

毎日少しずつ、できることをすることにしました。
私のばあい。。。
★ 毎日100円 義援金貯金
★ 台湾のために集めた救援物資の残ったものを熊本に送りました。おもちゃやおむつ、毛布送りました。
★ コラミストとして、ペンで闘うことをやめません。
★ コラミストとして、被災経験者として、次のステップについて考え、提案、提議して行きたいと思います。

神戸の時は、被害が酷かった地域に住むお友達を、一時期家に泊めて避難して頂いていました。
私は当時まだ若かったので、一人の友人にそうすることがやっとでした。
「自治体」という「生命体」ならば、どうなんでしょうか?
私のちからが「1」としたら、「自治体」の力はその1000倍なのでは?

2016年4月16日土曜日

The Dragon Dendera made a visit on my sketch book




As I always thought that I was not able to draw, one of my biggest concern was this character in my next book.
It is The Dragon Dendera.
But the dragon was kind to reply my inquiry.
It just came down on my sketch book.
Dragons are kind in Asia.

2016年4月14日木曜日

凡人の罪

凡人というのは、当たり障りのないことを言っていると思い込んでいる。そこが恐ろしいところだ。そうやって自分の言葉のインパクトや影響をまったく考えず、人を傷つけ、自分は悪くないと思い込んでいる。まったくもって、恐ろしい。賢人は、自分の言葉の影響力を知り、その結果に対して、責任を取る。凡人に生まれついてもそれは罪はない。しかし、徳を目指さないことは罪だ。

2016年4月3日日曜日

真珠蛍と億千万の星・・・育児ウツと「付き合う」~棟方の場合

映画の「おかし」

子供と映画に行くのが好きです。
子供の映画には全く興味がありません。
映画そのものはほとんど見ていません。

1800円の入場料で私が得るもの
それは、「真珠蛍と億千万の星」です

億千万の星
映画館の照明が落ちると
私はすぐに、傍らに目をやります。
すると、暗闇の中、
蛍のようにぽっと、子供のほっぺに真珠色の明かりが灯り
真珠蛍が姿を見せます。
そして
息子は、つぶらな瞳に億千万の星を携えるのです。
怖くて、私の手を握る小さな手には、汗がにじみ
感動すると、億千万の星から、小さな流れ星が流れ落ちます。

世界中のどんな絶景でも
この風景に勝るものはありません。


棟方という星とウツという星
ところで、棟方は時々ウツになります。
育児をするほとんどのママが、ウツに陥った経験があり
多かれ少なかれ、その「病」を持て余しているのではないでしょうか。
病と認識なさっておらず
ただご自分が至らないから、あるいは、気分の問題だと
思っていらっしゃるかもしれません。
棟方にとってウツとの関係は・・・・
「二つの衛星」です
自分という星がたどっている軌道と
別の軌道に「ウツ」星がめぐっていて
二つの軌道は時々合わさってしまって、
しばらくの間、付き合わなくてはいけないのです。

自分だけではない・・・でも我慢しなくてもいい
日本人の女性には
「子育てに悩んでいるのは自分だけではない」
と感じておられる方が多いようです。
この感覚は、とても知性にあふれ、健気な感覚です。
その通りなのです。
でも、それが、甘んじて耐えなくてはならないというわけではない
棟方は、そう考えます。

ここで耐えることは決して健気ではありませんし
賢くもありません。

「痛み」を経験することで得られる最大の宝は
他人と共感し思いやる力です。
これは「母」という生命体にとって
もっとも強い能力なのです。

自分の「痛み」に耐えてしまって
ましてや、やり過ごしてしまったら
同じ悩みを持つ人にも、その対応を期待してしまうでしょう。
「私は耐えたんだ。だから、貴方もこの重圧に耐えられるはず」
そして、助けを求めている人に手を差し伸べないでしょう。
さらに、自分を取り巻く他人の存在価値を
自ら下げることなんです。

困難におちいったなら、助けを求める義務がある
世の中にこれだけたくさんの人が
(あまりにもたくさんの人が)
存在するのは、互いの不足を補いあい
助け合うためにほかなりません。
たった一人で、痛みに耐えることは
その自然の条理に逆らうことです。

痛いのならば泣かなくてはならない。

私はいつも、そう子供に言います。

痛いのに泣かずに我慢して
周囲の人に、傷を気づいてもらえず
そのままその傷が化膿しても
それは誰のせいなのでしょう?
また、その膿んだ傷に蛆がわき
その虫が周囲の人々の生活を脅かすことになったら
それは、
誰のせいなのでしょう?

痛いなら、そのことを素直に訴えなくてはいけません。
自分の弱さを受け入れ、
他人に理解してもらいたい、と
発信しなくてはいけないのです。
「礼」この文字は
直訳すると「Politeness」"丁寧"さと訳しがちですが
実は「Communication」"コミュニケーション"という意味あいの方が強いのです。

他人の中の自分を自覚し
「礼」を尽くさなくてはいけません。
自分の弱さに気づいたなら
他人からの恩義を受けなくてはいけません。
それが、一人では生きていけない
「人」といいものに生まれ落ちた
私たちの義務です。

助けを求めないのは「無礼」である
先日、棟方を巻き込んで子供関連のトラブルを起こした
あるお母さまが、言いました。
「長い間誰にも言っていないけれど
実は自分はウツなのだ。
でも薬漬けにされたくないから
病院には行かない」

ウツを理由に自分の粗相を許してもらいたいなら
せめて、治療に努力する姿勢を示すのが礼儀です。
とんだ勘違いです。

ウツの治療薬
このエッセイの前半のノリだと
ウツの一番の治療薬は
「子供の笑顔だ」
となると期待されていたと思いますが
子供の笑顔には癒されますが
ウツを解消する特効薬ではありません。

ウツを解消する特効薬は
「感謝」の気持ちです。

棟方はシングルマザーで
夫と離婚し
夫に対して悶悶と恨みつらみをもったまま
二年ほど子育てをしていました。
貧困にあえぎ
こんな状況に追いやった元夫を恨みました。
子供を元夫のような人間には絶対にしない!
それが私の永遠のテーマです。

子供が少し大きくなって、映画が見れるようになりました。
私は貧困のなか、一生懸命、映画の券を買い
子供を映画へ連れていきました。
「仮面ライダー」の映画です。

初めての大画面
おなかにズンとくる重低音
3歳のちびっこにとって、それは
まさに、大興奮の経験だったのでしょう。
私は、そのとき、初めて
「真珠蛍と億千万の星」を目にしました。

私にとっての最大のストレスは
息子の言動の中に
元夫のカゲを見ることです。
たちまち、私の軌道に、ウツの軌道が添ってきてしまいます。

さて・・・・文章が長くなってきましたので
この続きは
また今度

Ryo Discovers the World 最終回 五妃街と神農街

Rei and Ryo's Taiwan review, the last chapter. 一ヶ月に渡ってお送りした、台湾シリーズの最終回です。